煉獄日記

目指せ天国。

幸せの定義なんてねじ曲げてやる

「誰かの“彼女”でいることに耐えられない」、そう言って前の彼氏と別れた数年前の私を、今の私はまだまだ断然支持している。よくやった、あのときの私。

よくやったと思う。
だって、それはきっと相手にも周囲にも簡単には理解してもらえない理由だろうとわかっていたから。

あのとき私は決めたんだよ、「幸せ」になるって。
あのとき私は、みんなが幸せと呼ぶものをあきらめたんじゃない。私が「幸せ」だと思うものに手を伸ばそうと、たとえ届かなくても手を伸ばす努力を続けようと、そう決めた。幸福の追求。Pursuit of happiness。これは権利です。

 

そうやって思い描き始めた「幸せ」の中には家族がいた。
ふつう人はそれを家族とは呼ばないかもしれない、そんな家族がいた。あの子とあの人は家族だ、そう勝手に決めた。むちゃくちゃだとは思ったけれど、だって大切なんだもん。そういう相手なんだもん。だから家族だもん。常識も、法も、そう思われてる当人たちすらも認めてくれないかもしれないけれど、彼らは私の「家族」だと、そう決めた。

この夏はずっとそんな意味不明な家族計画を思い描いていた。で、そんな意味不明なことしかできないくらい、具合が悪かった。

 

名古屋場所の千秋楽を観てるとき、なんの流れだったか「もし帰ってくるなら隔離期間は匿ってやる」と、あの子からLINEが来た。その時は「ありがてー」とか冗談半分に言ってたけど、翌日の夕方には、ロサンゼルス・バンクーバー経由、ホノルルから成田まで計22時間、値段だって馬鹿みたいに高い、そんな航空券を購入していた。ほんとうに泊っていいの、という問いにあっさりと返ってきた「いいよー」の言葉。なんだよそれ、うれしすぎる。

「家族」だと思っているなんて口で言うだけで実際には何もできない私を、ふたりは「はいどーぞ」みたいなトーンですいすい助けてくれて、結局ふたりの優しさに甘えに甘えて一時帰国の約3週間を過ごした。旅の疲れというより二年分の緊張の疲れでへろへろだったけど、iPhoneに残ってる写真の中のわたしはなんだかどれもでれでれしている。ニコニコとかワクワクとも違う、完全に甘やかされて緩みきったでれでれの笑顔。
前に、まるで尻尾を振る犬並みに感情が顔に出てしまうという話をしたら、「むしろ顔に尻尾生えてるよ」と言われたけれど、否めない。好きな人といるときの写真、顔が違いすぎる。でれっでれ。自分で見ていて恥ずかしい。

その「好き」がどんな「好き」なのかはよくわからない。よくわからないから、よくわからないけど、本当に好きなことはわかるから、さしあたって「家族」と呼んでいる。

 

で、こんなのわたしの片想いよねって思っていたのに。
結論から言えば、この夏に私はあの人と法的に夫婦になった。

先輩後輩?元彼と元カノ?友達?そのすべてだけど、どれでもない、だから私が勝手に「家族」と呼び始めた、そういう関係。だけどひとつ確かだったのは、お互いのことがずっと大切だったということ。出会ってから約15年、お互いその時々に特定のパートナーがいても、その感情や関係が全く妨げとならない形で、むしろそのパートナーとの間に生まれた相手の幸福を喜ぶような形で、私たちはお互いを大切だと思ってきた。元気でいてね、幸せでいてね、そんな風に心のどこかで願いあい、その願いを補うように連絡を取ったり取らなかったりしていた、15年間のそんな関係。

いま私たちが置かれた状況で、この名付けがたい感情と関係を守るためにはどうしたらいいのか。大切な相手だから支えたい、それだけの思いを実現する最良の手段は何なのか。その答えが私たちにとっては結婚という法を利用することだった。

 

法律は残酷だ。
法律と、それに支えられた社会と、その中にはびこる常識と。そういうものは戸籍だとか血縁だとかをひっぱり出して実情なんてきれいに無視して「お前の家族はこの人よ」と決めつけてくる。ぼんやりとした世間は、関係性の形式をちらりと見ただけでいろんなことをわかったような顔をする。私があの人やあの子をただ「家族」だと言い張ったとしても、私たちの関係性が外部に開かれたときそれはあまりにも無力だ。

法律は強い。
実情がどうだろうと法で定められた形式に落とし込んでさえしまえば、そこには特定の義務と権利と、ついでにいろんな意味がついてくる。たとえば結婚する。愛とか性とか恋愛とか、一夫一婦的なやつとか、それまでの「お付き合い」とか、もうあれやこれやの想定が勝手についてくる。夫婦として支えあうために使える権利もついてくる。なぜか社会的承認までついてくる。

じゃあ、法的に夫婦になってしまおう。

私たちが助け合って生きるための便利な形式として、「夫」と「妻」になってみよう。その結果どんな「家族」ができてくるかはわからないけど、それはこれから二人で少しずつ決めていこう。へんてこな「家族」と新しい「幸せ」を一緒に目指してみよう。とりあえずそのプロセスもまるっと楽しんでみよう。ま、無理だったら離婚って手もあるし。

 

「よし、今度会うとき結婚するか!」「そうするか!」
ってな感じで決まった結婚。ふざけてるけど、まあまあ本気です。

一時帰国中は間に合わず(なんせ色々急だった)、結局わたしが新学期にてんぱり始めたころ受理された婚姻届。既婚者になりました。あらびっくり。

 

そしてその2日後に父が亡くなった。
親の死という人生初の出来事に対してはまだ何を思ったらいいのかわからない。法の定める家族、血が繋ぐ家族、愛し合う夫婦のもとに築かれる核家族。そういう全部に呪われているかのような人生だった。だから奇妙な「家族」を求め、最終的に法律も使って「家族」のフレームも作った。そのたった2日後に訪れた父の死。

ハワイでぼうぜんとしている私に代わって動いてくれた夫。ありがたくて、申し訳なくて、複雑で、でもこれでいいんだと思った。
これでもかというほど発揮された「夫婦」としての地位。夫の行動には感謝してもしきれないけれど、それらの行動はもし私たちが夫婦になっていなかったら、法的に「他人」のままであったなら、きっと遂行が難しいものばかりでもあった。「夫です」というだけで色んな説明が不要になった。婚姻届ひとつ出しただけで、あの人は私のとても正式で公式な家族になっていた。法律は強い、そして、残酷だ。

結婚前、証人になってもらった人にこんな話をした。
たとえば私の父が死んでも、「義理の父が亡くなったので会社休みます」なら皆納得するのに「友人の父が亡くなったので」では話が通じない、そんなの悔しい。私と相手の関係性は何も変わらないのに、なぜそんな大事なことを、その意味や価値を、法によって決められなければならないのか、許せない。
あまりにもその通りのシチュエーションがあまりにも早くやってくるもんだから、驚いてしまったよ。

生まれた時から法で縛られた関係であったがゆえに恨み続けた父。
その法を逆手にとることで幸せになってやろうと結婚した夫。
父の死という瞬間を迎えて、そこで見たのはあまりにもこんがらがった家族の姿だった。でもその光景の中にあの人が「夫」としていてくれた、そのことが与えてくれたとてつもない安心感は「結婚してよかった」とため息をつくには十分なものだった。

 

留学生活3年目。

今学期からとうとう始まった学部生へのティーチング。手続きがごちゃごちゃになった健康保険にソーシャルセキュリティナンバー。ひとつ先に進んだ博士号取得までのステップ。慣れないことだらけで、その上父の死という大きな何かも降ってきて、ていうかそもそも夏休み前からいまいちだった体調はいまだに下降の一途。

でも、今の私には「家族」がいるんだ。勝手な片想いじゃない、「家族」ができたんだ。愛犬のことしか家族と思ったことのない私に、とうとう人間の家族を持つ日が来たんだ。

そして、こっちはまだ片想いね、と思っていたあの子は、結婚するわ、と報告した私に「え、じゃああの人うちの伯父になるの?いや従姉妹の結婚相手みたいな?なんだ?」と謎めいた返答。なんだよそれ、またさらにうれしすぎる。

 

この新しい「家族」が、そこに生まれてくる関係が、何を意味しているのかもどんなものに発展していくのかも私自身まだ全然わからない。だけどこれはいつだか手を伸ばしたいと思った「幸せ」に近い何かのような気はしている。

幸福の追求はまだまだ続きます。