煉獄日記

目指せ天国。

わたしはまだ「王子様」になりたい

ひらりさ『それでも女をやっていく』(ワニブックス、2023)を読んだ。

 

それでも女をやっていく

 

女子校育ち、大学入学とともにある種のカルチャーショックを経験し、今もジェンダーについて考え続けているという彼女の経歴と本の構成、そしてそれを描く解像度の高い彼女の文章は、自分を重ねずに読むのが困難なほどの何かだった。私は自身をオタクだとは思わないし、BLや百合を特別好んで読んできたということもないが、著者がそれらに向き合う姿勢もまた、ずっと「アイドルファン」を自称しSMAPについて考えてきたことと重なって仕方がなかった。

そして何より、女友達との向き合い方と母娘関係の話では、共感を通り越して「これはやはり社会の問題!」などと頭がぐるぐるした。実際そういう一面があるのは確かだし、だからこそ著者も私もジェンダー論を学ぶことを武器に、私は学術的な文脈の中で論文を書くことで、著者はオートエスノグラフィという手法を用いることで、個人的な経験を外に開かれるものにしている/できている。The personal is political.

だけど、だから、私も私の話をしたくなる。これは、私にとってひとつの会話の形。

 

 

 

「女」であること、「女」との関係を掘り下げていくこの本の序文に、彼女はこんな一文を書いていた。

だって、みんなに「女」だと思われているわけだから。(p. 5)

著者と私とでは、何かしらのカテゴリ分けをすればジェンダーセクシュアリティもたぶんどちらも違うところに入ると思う。私は自分を女とはアイデンティファイしないし、ヘテロセクシュアルでもない。ただ、この一文からわかるのは、私も彼女も、何もしなければ自分がいつの間にか「女」として扱われる環境に置かれてきて、その有無を言わさず「女」として自分を扱ってくる世間の強引さにときには諦めのにじむような反感を抱いているということ。

 

英語圏で暮らしていると、しばしばpronoun(代名詞)を尋ねられることがある。特に個人のジェンダーアイデンティティが尊重されることを重視する環境のなかでは、それはつまり私の大学院関係のコミュニティの大半ということだが、初対面の相手からpronounを聞かれることも少なくない。

相手のジェンダーアイデンティティを尊重するという意図はわかるし、その尊重の気持ちには感謝している。「女のくせに」とか平気で言ってくる一部の(主に日本で出会ってきた)人たちに比べればよっぽどよっぽど良い。それなのに、私はいつもなんとなく言葉を濁してその質問に答えている。「Sheでいいよ、もしそれがあなたにとってcomfortableなら」とか、「こいつpronounを尋ねる意味わかってんのか、っていうか英語わかってんのか」と思われそうな返答をしている。

Theyを使おうかな、と悩んでいた時期もかなりあった。でも、結局そうしていない。今の社会ではまだ、theyを使うことでそこに何か「ふつうではない」ニュアンスが加わってしまう。「ふつうじゃない」と差別されることを恐れているのではなく、自身のジェンダーアイデンティティについてtheyを名乗る程度には何かを考えている人間だと思われることが嫌でその選択をしていない。こじれた理屈をこねまわしてると思うし、そこまで考えている時点でジェンダーについて「ふつう」以上に考えまくっていることは明らかで、ほんとにただの自意識過剰でしかない。恥ずかしい。

ほんとは "it" がいいと思ってる。It "が" いいと思ってる。ジェンダーのフィルターを必ず通さないと人間としての「私」になれないのなら、私は動物やモノの仲間として生きていきたい。
でもそこまで何かを突っ張る気概もないので、「sheに見えるならsheでいいです」とか言って余計に相手を混乱させている。

 

私が自分のpronounといつまでも折り合いをつけられない理由のひとつに、女子校での経験があると思う。

著者も言っているように、女子校はユートピアではない。ジェンダー規範から完全に自由になれる場所なんてあるわけがない。そんな場所があると仮定するだけで、頭の中のジュディス・バトラー先生が怒りだす。

メディアやTwitterで、女子校出身者が、女子校はジェンダーの不平等さを気にする必要がなくてよかった、女子校にいるときは人間だった、という話をして、それが支持される流れを目にする。それはあなたが "人間" 枠でそれ以外の人が見えなかっただけでしょう、と思う。(p. 26)

著者が反感を持つのも、わかる。

頭ではわかるけど、でも、それでも、私にとっての女子校は「温室」ではあった。「女子校にいるときは人間だった」というより、女子校にいる間は「人間」か否かの判断と「女」としての評価との間にズレがあった、少なくともそのふたつを同時にしないことが「人として」正しいという建前が維持されていた、という感じだろうか。そういうことをどんどんと言葉にして私たちに伝えようとしてくれていた先生たちの影響も大きい。仲良しこよしのユートピアではなかったし、色んな暴力も不平等もあったけれど、そのいざこざを起こしたりその中で勝ったり負けたり喜んだり傷ついたりしていたのは、あくまでも「私たち」自身だった。私にとっての女子校は、そういう温室だった。その温室の存在を、知っているというか、体が覚えている。

だから、「sheとかtheyとか何かジェンダーの話しないと私が私になることもできないんですか?」と、クィアユートピアにすがりついては頭の中のバトラー大先生に怒られたり励まされたりしている。

 

 

こういう女子校での経験にどっぷり結びついた話が、女友達とのあれこれを経て、最後には母娘関係の話にたどりついた時は、季節外れのクリスマスプレゼントをもらった気分だった。(そんな気持ちになったのは、隣人が数日前なぜか朝から "All I Want for Christmas Is You" を大音量で流していたからかもしれない。)

 

世界中の男がうっすら嫌いだ。父のことは純粋に嫌いだが、それ以外の男のことは羨ましいから嫌いだ。わたしの母を救うことができるから。(p. 161)

 

ひょんなことから結婚(しかも法的なやつ)をしてしまって、もうすぐ2年が経つ。しかし私はまだ母に結婚したことを言っていない。いや、言えていない。どっちだろう。

 

記憶にある限りずっと父と不仲だった母親は、娘である私に対して「あなただけは私を裏切らない」という無言の圧力と、「お前のそういう父親に似ているところが嫌いだ」という暴言を使い分けながら、私が彼女の最高の理解者であるよう求め続けた。幼いころの私は、母が不幸なのは自分のせいなのだと本気で思っていた。

そして、思春期に入って身体が変化したり性的なことに興味が出たり、さらに20代でそこそこまじめに付き合う彼氏ができたりしたときに、母親の反応はいつもひどく軽蔑的なものだった。

「女になって、気持ち悪い。」

何が彼女にそんなことを言わせていたのかはわからない。それでも、夫との関係に絶望した母が求めていたのが「白馬の王子様」にも似た何かであり、私はその代理品であり、しかし私が彼女の子供で娘で「女」である以上、決して代理品以上のものにはなれないと、私は自分の第二次性徴とともに漠然と理解することになった。

娘だろうが息子だろうが、母親のロマンティック・ラブの相手になることはできない。それでも、もし自分がとりあえず男として生まれていたら、もっと母親の求めるものに近づけたのではないか。おかあさんをしあわせにしてあげられたのではないか。どうしてもそんな風に考えてしまう幼い自分がどこかにいる。

 

現実的に、結婚を報告して母親が泣いたり叫んだり暴れたりしたら面倒だな、という理由はもちろんある。そして、母親が泣いたり叫んだり暴れたりする可能性は、経験から言えば、かなり高い。
でもそれと同時に、「結婚した」という報告が(その実情がいかなるものであれ)、母にとって最大の裏切りの言葉のように響いてしまわないか、もう「王子様」は代理品ですら存在しないのだと絶望させてしまうのではないか、そういう恐怖心が母に結婚を隠している理由のかなりの割合を占めている。

母親のことは嫌いだ。自分勝手だし、何より彼女が私にとってきた態度や行動は親として許されるものじゃない。それなのに私は、彼女の「王子様」になれない自分がまだどこかで許せない。

ついでに言えば、父親はもうこの世にいないのでどうでもいい。どうでもいいはずなのに、まだしょっちゅう夢の中で襲われて冷や汗かいて目が覚めるので、どうでもよくはないらしい。

 

 

 

最後にひとつ、読者としてのルール違反をする。ブログというあまり人目につかない場所だから許してほしい。

著者の言う「女子校」と、私の言う「女子校」は、同じ学校のことだ。さらにいえば、私は彼女にとって「同じクラスにいても親しくならなかった」「女」たちのひとりだ。それがこの本を手に取るのを迷っていた最大の理由。あたりまえだけど、同じ景色を見ていた違う人間がいたんだな、と感じてなんかむずむずしてしまった。(知り合いに読まれたくないだろうという気持ちは痛いほどわかるので、そこは、なんていうか、ごめん。)

あのころ、とにかく勉強ができなかった私にとって、SMAPという熱狂の対象を誰とも共有しきれなかった私にとって、実を言えば彼女はちょっとした憧れのような存在だった。そんな風に誰もが誰かを羨んだり自分のコンプレックスにいじけたりしていた時間を、私はわりと懐かしく好ましく思い出してしまう。