煉獄日記

目指せ天国。

12月10日日本入国手続きメモ

12月9日にホノルルから飛行機に乗り、12月10日に日本へ入国した。

ハワイ州でオミクロン株の感染者が見つかったのは今から一週間くらい前だっけ。とりあえず、少しずつ増えているオミクロン陣取りゲームのだいぶ最初の方にやられたアメリカの州のひとつだった。というわけで現在3日間の強制隔離2日目。

 

暇かと思いきや、普通にお昼寝が楽しいし忙しくて全然暇ではないのだけど、忘れないうちに帰国の手続き諸々について記録をしておこう。
ところどころに感想は差し挟むけど、とりあえずは基本的な事実を記録に沿って書いておきます。帰国前、「結局何がどうなってるの?」とわからないことも多くてとにかく情報が欲しいという状況だったので、どこかで誰かの助けになれば。

っていうか、友人から「人生で隔離されることってなかなか無いよね」と言われたように、なかなか無い経験だからとりあえず書いときましょう。

 

12月9日(ハワイ時間):出国

8:00 空港到着
さすがに空港は空いている。チェックインの時点では陰性証明書の提示のみ求められる。
セキュリティも通過してぼんやり飛行機を待っていたら、搭乗の1時間ちょっと前に税関に見せるか何かの紙を持ったスタッフの方に「日本へは、観光ですか?お帰りですか?」という難しい二択を聞かれる。「ここに住んでます!」と返事をしたら、何も渡されず。

10:45 搭乗→11:20 離陸
座席の埋まり具合はざっと見た感じだと1~2割ってところかしら。みんなひとりで2~5席くらい占領しながらゆったり飛行機旅。
ホノルルではシャツ+パーカーだったけど、着陸の少し前にシャツ+薄手のセーターに着換え、待機時間に寒かったらパーカーを追加できる体制に。

 

12月10日(日本時間):入国

15:39 着陸→15:50 飛行機降りる
当日国際線乗り継ぎ以外の人は立つな、荷物も取るなという指示がとりあえず出る。10分ほど待たされた後に飛行機を出て、ゲートのところに他の乗客たちと共に並ぶ。5分くらい待った後に動く歩道のところをずーっとずーっと一列になって歩いていく。

16:05 「健康カード」配布・記入
過去14日間の体調と滞在地域を聞かれる「健康カード」を配布され、記入。その他誓約書等を持っていない人もこの場でもらって記入。記入が終わったらスタッフを呼び、パスポートに陰性証明書・誓約書・健康カード・12条質問票を挟んで持っているように言われる。
座っていろと言われたり動けと言われたりなんだか落ち着かない。この時も、この後も、全体向け基本オペレーションはすべて日本語。米軍関係者以外は日本人のはずだから日本語わかるだろう、という想定なんだろうか。

16:20 受付(なんの?検査の?)
「一次受付(Reception)」と書かれた場所で何かの受付。
過去14日間にハワイ州滞在ゆえ3日隔離の旨を改めて通告される。ハワイ州は「レベル3」地域だそうで、「ホテル待機」の項目に赤シール。この時点で、滞在場所は禁煙と喫煙のどちらがいいかを聞かれる。私は喫煙者だけど、3日タバコくさい部屋に閉じ込められるのはちょっとな、と思い禁煙を選択。
唾液での抗原検査というの?あれをやる。指示の言語が10か国語くらいで書かれていた。係員さんに渡して、次のゾーンへ移動。

16:40 アプリチェック、QRコードチェック
MySOSのDL、登録者情報チェック、使い方の説明。
その後、質問票に回答すると出てくるQRコードのチェックへ。せっかく紙に印刷して持っていったのに、にじんでいるだか何だかで結局スクショを提示。
この時点でもう完全に何便かの人が混ざっている様子。座るにしても並ぶにしても基本的に間隔は1メートル以下。うーん?

17:00 パイプ椅子待機開始(約1時間半
パスポートの裏に貼られた番号が呼ばれるのをパイプ椅子がずらっと並べられたゾーンで待つ。あれは普段の搭乗ゲートの近くなのか?やはり動く歩道の近くで、すぐ後ろは飛行機が見える窓。
ここまではぐるぐる歩かされてるから全然寒くなかったんだけど、座っての待ち時間が1時間を超えたあたりから、じわっと体が冷えてくる。私は落ち着きがないので、脚をぶらぶらしたり、一回は近くの人に荷物を見ていてもらってトイレにも。
定期的に「検査結果が出ました」とまとめて番号が呼ばれるアナウンスが流れる。順番通りに呼ばれているのかと思いきや、明らかにホノルル便組の番号だけ飛ばされている。おそらく強制隔離組だからということなのだろう。

18:30 移動開始
アナウンスで呼ばれるのかと思いきや、十数人分の番号を書いた紙を持った係員さんがやってきて、ひとりずつ番号を確認してはその紙に載っていれば列に並ぶよう指示が出る。ちなみにこの時係員さんが見ていた紙と同じものを、この後隔離場所に向かうまでの各地点で見かける。なので、ここで一緒に並んだメンバーはおそらく同じ隔離場所になると考えて良さそう。
番号の人が見つからないと、めちゃくちゃ番号を連呼されるの、なかなかの囚人感。

18:40 検査結果&入国審査
誓約書を回収され、陰性であることを告げられ(そりゃそうだ)、入国審査に向かう。入国審査が終わったら、預けてたスーツケースを受け取って、出口の方に向かう。よく出迎えとかの人がいるところにまた並ぶ。
ここで横にいたおばちゃんが「私達どこ行くの!」と係員さんに尋ねたことで、隔離先が両国アパホテルと判明。でもここでおばちゃんと係員さんのやり取りが無かったら、行き先をはっきり言われる機会ってバスに乗って「両国向かいまーす」って運転手さんのアナウンス聞く以外なかったかも。

19:00 バスに向けて移動→19:20 バス発車
バスに向けて移動しまーす、と歩き始めたと思ったら、途中で突然止められ、「ここらへんで待ってて!」と。まだバスが来てないから外で待たされたら寒いでしょう、という心遣いだったらしい。
10分強座って待った後にバスに向けて再び移動し、大きい荷物を預けて乗車。第二ターミナルで一緒に乗ったのが10人くらい。第一ターミナルに移動して、そちらでさらに10人ほど乗車。45人くらい座れるバスで約半分が埋まっている状態に。
まあみんな陰性って出たばっかりだからいいのかもしれないけど、ここまで本当に換気らしい換気が為されてたところはなかった気がする。バスの窓も閉めきり。いや、開けたら寒いからそれでいいのかな…?

20:30 両国アパホテル到着、「入所のご案内」が始まる→21:00 降車・受付
「これから入所のご案内を始めさせていただきます」となかなか聞かないパワーワードでのご案内が始まる。受付の広さの問題で前から4人ずつ呼ばれていき、順次バスを降りていく。これはぱっと見た印象だから確信はないけれど、おそらくこの両国アパホテルに連れてこられた人は全員が単身&禁煙っぽかった。
預けてあったスーツケースとその日の晩ごはんとしてビニール袋に入ったお弁当を受け取り、係員さんに手伝ってもらいながら部屋に向かう。

飛行機を降りてから隔離場所に着いて一息つくまで約5時間。強制隔離が下手すると名古屋だ福岡だ仙台だといったさらなる飛行機移動先になったりするのに比べたら、かなり何もかもがスムーズに進んだ運のいいパターンだと思う。
それでも入国審査後まで行き先はわからず、検査等のプロセスを書いた貼紙みたいなのもちょくちょく見かけたとはいえゆっくり見る時間もなく、ずっと「この後どうなるの?」「この状態であとどのくらい待たされるの?」という疑問がつきまとう。一緒に行動する人がいないと、トイレに行ったりするのもまあまあためらわれた。とはいえ、検査番号で管理されているため、もしその場にいなくても置いていかれたりすることはなさそうだけど。なんたって強制隔離対象だしな!

個人的に一番の懸念事項だった寒さはそれほどでもなかった。パイプ椅子で検査結果待ちをしている1時間半が最も寒いと言えば寒い時間だったから、もしもあれが3時間とか4時間とか待たされてたら(そういうケースもあったようだし)結構体が冷えてきつかったかもしれない。それでも、厚手の上着とかよりも、30分おきにでも立ち上がる時間を作るとかの方が意味のある寒さ対策になりそうな温度と状況。

 

そしてぜひ改善してほしいと思ったのは、案内のサイズや色をもっと見やすいものにしてほしいという点。待機場所含め途中では薄暗い場所も多くて、メガネだと0.3ちょっとしか視力の無い私には次どっちに向かえばいいのかの矢印も見えないことがしばしば。もしかしたら他の人たちには「こういうプロセスですよ」みたいな紙が普通に読めていたのかもしれないけど、私は結局最後まで全体像が見えないまま言われるがままに動いていた。
空港はふだんぴっかぴかに明るいけれど、あの明るさから急に薄暗くなる瞬間なんかも多くて、視力が弱い人にはかなり歩きずらい道のりだった。次にどっちへ向かうかの矢印だけでも、もっと大きくて目立つ色にしてもらえたら嬉しかったなあ。
視覚に限らず、あらゆる面でバリアフリーとは程遠い状態だったのも少し気になった。見える・聴こえる・歩ける・日本語が理解できる、という4条件を満たしている人しか想定していないような形で全体の動きが設計されていて、いずれかに問題がある人(あまり歩けない高齢者や日本語を話せない人)には個別に対応する方針のようだった。

 

時差ボケって感じはしないけど、単に眠いのでここらへんで。
強制隔離の様子はまた一時帰国中に時間見つけて書けたらいいな。