煉獄日記

目指せ天国。

温室育ち

昔どこかで読んだインタビューで、私と同じ女子校を卒業した人が母校のことを「動物園」と「天国」にたとえていた。本当に、動物園みたいな天国だったなと思う。

 

ちょっと書き留めておきたくなった、動物園みたいな天国で、しかも最高の温室だった母校のこと。

 

数週間前、沖縄からハワイを訪れた高校生たちを色々とお手伝いさせてもらう機会があった。
彼らが来た目的は沖縄の伝統芸能を通じて現地の人と交流するといったもので、地域の人や大学のクラスをあちこち訪れる大忙しの2週間だったよう。海外どころか沖縄県から出るのも初めてという子も多くて、みんな目を輝かせながらハワイでの経験を楽しんでいた。一応国際交流ということもあり、必死の英会話をしている場面にも立ち会った。

そりゃあ、私はもうハワイに来て4年目だし、英語もハワイのことも当然彼らよりたくさん知っている。アドバイスしようと思えばいくらでもできるし、英語で困っていることがあれば通訳をしてあげることもできる。言語と文化の壁を前におろおろする彼らを前にして、できるだけ手を貸さないというのはなかなかもどかしい。

それでも、思わず口を出しそうになる自分を必死に抑えて、彼らの姿をにこにこしながら眺めていた。

 

 

大学生になったころ、母校の部活でコーチというかちょっとした指導の補助のようなことをしていたことがある。その中で合宿にも参加させてもらい、帰りのバスに乗っていた時のこと。

後ろに座っていた高校生たちが何かについて議論を始めた。その時は私も高校を卒業して半年くらいで、まだ指導者というよりは彼らの先輩という気持ちが強かった。だから、その件についてだったら何か有益なことが言えそうだと思いつつ、振り返って高校生たちの会話に入ろうとした。

その瞬間、横にいた先生が、すっと私を手で制して首を横に振った。
「口を出してはだめ」と、その目がはっきりと言っていた。

 

卒業する前は気が付かなかった。なんで気づかなかったんだろう。先生たちはずっとこうやって私たちの姿を眺めながら、どんなにもどかしくても口を出さずにいてくれてたんだ。

 

自主性を大事にするという学校の方針は、もちろん入学前から知っていた。部活の運営から文化祭や体育祭といったイベントまで、確かに生徒に任せられている部分がとても大きいことも感じていた。

その一方で、生意気にも「先生たちは何もしてくれない」なんて言ったりしたこともあった気がする。先生にそれほど不満があったというわけではないけれど、大人なのにそこにいるだけで何もしないんだなあ、なんて思っていた記憶はある。

でも、「何もしない」ということがどれほど大変なことか、そんなこと考えたこともなかった。

先生たちはずっと、「見守りながら何もしない」というとても大変なことをしてくれていた。それは未熟な子供たちを前にしたとき、アドバイスをしたり手助けをしたりするより、ずっと骨の折れる仕事。

 

家庭のことも色々あって他の生徒たちよりは先生に助けてもらう機会の多い中高生だったと思う。だからもちろん在学中からそのことにはとても感謝していた。この学校に入ってよかったと心から思っていたし、卒業するのは寂しくて仕方なかった。

それでも、このバスでの経験をするまで、先生たちがしてくれていた一番大きな仕事が「何もしない」をすることだとは気づいていなかった。

 

温室の中にいる植物は、自分たちが温室の中にいることなんて気が付かない。いつも同じ景色と同じ温度に退屈しているかもしれない。ビニールの屋根を眺めては「あいつは何もしてくれないな」と思っているかもしれない。

まるで温室のように、あの学校の先生たちは外界のたくさんのものから私たちを守りながら、その中で失敗と成長を繰り返す姿をじっと見ていてくれた。守られていることにほとんど気づかないくらい、私たちはしっかりとあの環境に守られていた。

 

 

ハワイに来てからは子供と接する機会も少なくなって、特に指導や教育をする立場に立って子供と接することはなくなった。こうしてまた高校生と一緒に過ごしてみたら、あの時すっと私を制した先生の姿を何度も思い出した。

もうさすがにあの女子校に戻りたいと切に願うことはなくなったけど、「何もしない」をちゃんとできる大人にもまだなれていない気がする。

いつか私も、子供たちにとって温室みたいな大人になれるかなあ。