煉獄日記

目指せ天国。

「“M”さん」の来訪

私のもとには時々「“M”さん」宛の郵便が届く。断っておくが、“M”は私の苗字ではない。“M”は、私であって私でない。これは、私が10年前に捨てた苗字だ。

先日、現在のアメリカの家にまで“M”宛の郵便が届いてさすがに驚いた。お前、まだ追っかけて来るのかよ。

 

両親が泥沼の離婚調停のすえ離婚したのが私が20歳のころ。(たぶん。ちょっと正確に覚えていない。20~22歳のどこかだったのは確か。)もう大学生活も半ばで、普通だったら両親が離婚したからといって苗字を変えるような年齢ではなかった。でも変えた。

周りの人には割と驚かれたし、母親にさえ「別に嫌だったら変えなくていいのよ?」とちょっと止められた。そりゃそうだ。二十歳といったら、普通ならもうすぐ結婚して苗字を変える人だって多い年齢。とても短いとはいえない期間を、私は“M”として過ごしてきた。いまだに私が人生で関わった半数以上の人が、私を“M”さんとして記憶しているだろう。

でも、変えた。

どうしても、どーしても、変えたかった。

父親のことも、父方の一族のことも、とてもじゃないが親戚とは思えなかったし、思いたくなかったし、今でもできる限り関わりたくない。そして実際に、もう父以外の“M”家の人間は、会ったところで誰だかわからないだろう。

一方で母方の親族とは昔から仲がよかった。仲が良すぎて今でも毎年親戚20人近く揃って温泉旅行に行ったりしている。今年はアメリカにいて参加できないので、ちょっと寂しい。私は、そっち側の人間になりたかった。ずっと母方の苗字が欲しくて、それがやっと手に入れられることになったのだ。もう二十歳だとか成人しているとか、そんなの関係ねえ!と喜び勇んで市役所へ書類を提出しに行った。

 

もちろんそれだけ望んで手に入れた苗字だから、全く後悔はしていない。今の苗字の方が、よっぽど「これは自分だ」という感じがする。

それでも20年というのは、思ったよりも長い時間だった。パスポートをはじめとする書類の変更はうんざりするほど面倒だった。公的書類だけじゃない。特にやっかいなのはインターネット上で登録した名前だ。本名を登録するような機会は比較的少ないとはいえ、やはり10年近くインターネットを使いまくる生活をしていればそれなりの数になる。気づくたびに変更していたつもりだったけど、今回みたいにある日突然現れるのだ。10年経っても、まだそんなことが起こる。

そして“M”さん宛の手紙やメールが届くたび、私は今でもぎょっとする。「うっ」となってしばらく固まる。名前と共に切り捨てた過去から、「忘れられると思うな」と追いつかれたような気分になる。

 

少し前にも、大学に入学したばかりの頃に登録したメーリスを久々に使ったら旧姓の名前があり、動揺して思わず先輩に「ちょっと聞いてください」と電話した。ちなみにその先輩は、私が“M”さんだったころを知らない。過去の記憶に飲み込まれそうで、誰か今の私しか知らない人に話を聞いてもらいたかった。

“M”と書いているが、これはかなり一般的な苗字なので、日常生活で出会うこともしばしばある。そのため、例えば病院のような場所で「“M”さーん」と呼ばれると、思わず返事をしそうになる。現在の苗字で私を記憶する人が増えるほどにそういうことは減っていったが、今でも気を抜いていれば抜いているほど「“M”さん」という呼びかけに反応してしまう。

呼ばれたときだけじゃない。修士のころ、すなわち苗字を変えてすでに5年ほど経ったころ、ゼミに出す論文に間違って“M”の名前を書いたことがある。その論文は、作家と父親との関係を論じたものだった。思い出しても情けないが、つまり私は自らの過去の記憶に触れるような文章を書いて、無意識のうちにその過去とリンクする“M”の名前を書いたのだ。すんごいださい。

 

名前というのは不思議なものだ。自分で選んだわけでもないのに、生まれた時から自分にくっついてきて、ただの記号のくせにほとんど「私」と一体化している。人からその名前で呼ばれ続けた記憶は、なかなか消えるものじゃない。私はもう長いこと“M”さんじゃないのに、“M”さんだった私は確かに私の一部なのだ。変なの。

そういえば「結婚」の話をしているとき、法律的なことを完全に忘れていたけど、私はたとえ法律婚をしたって苗字を変えたくない。20年かかってやっと今の苗字になったのだ。この苗字を手放したくない。それに、あの面倒な色々をもう一回やるのはごめんだ。かといって相手に「変えてくれ」と頼むのもなんだか悪い気がする。そういう訳で、私が今後法律婚をするかどうかはともかく、同性婚夫婦別姓も早く認められてほしい。

今の苗字はとても気に入っているけど、唯一の欠点は一般的すぎることかな。ちなみに私は下の名前もありきたりなので、フルネームで検索したところでまず私にはたどり着かない。CiNii(日本の論文検索システム)ですら、著者名検索をしても私じゃない人がずらーっと出てくる。それはちょっと困る。いや、困ってないけど、「うーん」という気分になる。

 

ちなみに今回来た“M”さん宛郵便は、アメリカのAmazonからだった。高校留学したときのアカウントが残ってたらしい。ちゃんと登録内容の変更をしたので、もう大丈夫。

もう“M”さんの不意打ちはやめてほしいけど、きっとまたどこかで突然やってくるんだろうな。「あ、来たの?」くらいなお出迎えができるようになりたいです。