煉獄日記

目指せ天国。

街も人も思い出だって 全てが移ろっていく

婚姻届を提出して1年と1ヵ月が経った。

あまりにも突然の結婚に「なんで結婚したの?」と問われることもしばしばで、そのたびに「そこに戸籍謄本があったから」と答えてきた1年だった。

だって「既婚者なってみたくな~い?」って尋ねてくる阿呆は世の中にそうそういないし、その問いを私に向けて言ってくれる人もおそらく今後現れないと思うので、「なってみた~い!」と返答したのは良い決断だったと思っている。

 

この間、約2年ぶりに会った教授に結婚を報告したら、目を丸くして驚かれた。

「だって、あなたは婚姻制度にとても批判的に見えたから」

その教授はジェンダー研究の専門家で、私が2年前にとった授業も "Gender and Sexuality" という名の、ミシェル・フーコージュディス・バトラーといった理論家から、婚姻制度、LGBTQ+、セックスワーカーなど、幅広い内容について学ぶものだった。そこで私が一夫一婦制や家父長制への不満をぶちまけていたことを教授は覚えていてくれたのだ。

「婚姻制度には今でも批判的だけど、二人でいろんな条件を話し合って、従来の結婚に抗うような、私たちが幸せになるための新しい家族が実現できるかもしれないと思ったから」

つたない英語でそんなことをもそもそ説明する私に、「人生をかけた実験だね、今後の展開が楽しみ」と教授は励ましの笑みをくれた。

 

2021年の一年をかけて、『結婚の奴』に関する論文を書いていた。

Gender and Sexualityの授業で初めて人に向けて話したアイディアを、クィア理論の授業のタームペーパーとして練り上げ、最終的に日本のジャーナルでの出版にまでこぎつけた。もう少なくとも5年は会っていない旧友から「既婚者なってみたくな~い?」とビデオ通話で突然言われたのは、その論文を書いている真っ只中だった。

その論文は、簡単に言えば、結婚の制度とかイデオロギーとか全部ひっかきまわして(クィア化して)自分たちが幸せになることを目指そうぜ、ということを書いたものだ。

そんな論文を書いている最中のプロポーズ(?)。実は、「なってみた~い!」と返答する前に私はある条件を出していた。名字は妻(私)の姓にする、基本は別居、不倫可の3つだ。なぜその条件でOKを出したのか、単に酔っぱらっててあんまり考えていなかったのか、それはわからない。ただ、なぜか知らないけれどそれでもいいと言うもんだから、「それなら既婚者なってみた~い!」となったわけだ。

 

しかし私は疑い深い。

口約束なんて、ましてうっすらロマンチックな雰囲気が出ている二者間での約束なんて、かけらも信用していない。モノガミーなんかくそくらえ。どうせ愛だの恋だの言いだして、「非常識」な約束なんてぽいぽい忘れちまうんだろう?

というわけで、婚姻届を出す前に契約書を作ろうと提案し、契約書じゃ味気ないから憲法にしようと言われ、最終的に「家族憲法」が制定された。

その家族憲法では、私たちの「夫婦関係」の基盤となる考え方と決まり事を明記し、一年に一回の見直しを義務化。つまり、結婚して1年が経ったということは、この家族憲法の初めての「改憲」が行われたということなんですね。

 

 

前置きが長すぎましたが、つまりこの家族憲法のことを書きたいのよ。

この間の初めての改憲で、この家族憲法の存在はなるべく第三者に伝えていこうと決めた。従来の婚姻制度が決して「愛し合う2人」だけの問題ではないように、私たちの「家族」としての関係も私たち2人だけのものでは有り得ない。第三者に理解を求める、あるいは少なくともこの家族憲法の存在を伝えることは、私たちの望む家族を成立させるうえで必要なものだろう。

 

具体的な内容にまで踏み込もうかと思ったけれど、とてもへとへとすぎて無理なのでとりあえず今日はここまで。また元気のあるときに、その家族憲法にどんなことが書いてあって、なぜそう決めたのか、少しずつでも書けたらいいな。

家族憲法はこのブログで全文公開する気はないけど、もし興味があって全文読んでみたいなという人は言ってくれれば送ります。