いま日本は7月7日、母の誕生日だ。七夕生まれの母は今日、70歳になった。
ここ数年はなぜか、母の誕生日というか7月の存在を毎年6月末まで忘れていて、「もう6月も終わりか~」と思っては「ていうかあと一週間でお母さんの誕生日じゃん!」と思い出して焦るということを繰り返している。なんだろう、無意識に忘れようとしているのかもしれない。
例にもれず今年も日本はすでに7月に入ったころに母の誕生日を思い出し、絶対間に合わないわ、と思いつつ国際郵便でバースデーカードを送った。
っていうか70歳って。古希。もう立派な高齢者じゃん。ああ、凹む。
そんなことを考えながらうっすら落ち込んでいた7月頭に、ジェーン・スーが彼女の「限界家族」について書いた『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社、2018年)を読んだ。
我が家の元日は、墓参りと決まっている。
本の冒頭から出て来るこの「限界家族」という概念。うちの場合はきっかけが両親の離婚とはいえ、もう10年ほど母ひとり子ひとりの「限界家族」を維持しようと私ももがきながら生きてきたので、この冒頭だけで私は心をつかまれてしまった。
限界家族の話と言いながら矛盾するようではあるが、私はこの本を親子関係からの卒業の話として読んだ。
親子関係 には様々な難しさがあるけれど、そのうちのひとつが「親」と「子」という関係が変化しにくく、実情からかけ離れてしまっても子が親に「親」の顔を求めてしまったり、反対に親が子を「子」としてしか見られなかったりする点があると思う。
もちろんそれが全く問題にならず、適度に距離をとって、たまの里帰りには「親子プレイ」をして穏便に済ませることができる人も多いのかもしれない。
しかしこれが限界家族の難しいところで、親は老い、子は経済力でも体力でも親を上回り、なのに新しい家族もいないのでなんとなく「子」を演じ続け、しかし親は何かと助けが必要になるので子を頼ることになり、と、両者の意識の上での関係性と実際に求めるものがばらばらになってしまう。その結果お互いになんとなく不機嫌になりながらも、「家族だし」とか「親子だし」とか言いながら助け合ったり傷つけ合ったりするはめになる。
この本は、そういう状態に陥った「子」の視点から、そのこじれた親子関係をどうにかアップデートしようと奮闘し、その結果として「親」でも「父」でもないひとりの人間としての父親を受け入れる話なのだと思う。
「小石川の家 I, II」は本の構成上は後半にあたり、クライマックスともいえる章だが、時系列的には初期にあたる。「親子」という枠組みの解体を否が応でも始めなければならなくなるきっかけが書かれている。
母が亡くなってから、父との折り合いは悪くなる一方だった。(中略)父には父の、父ではない男の顔があることが、共同生活のなかにまま見受けられるようになったのも遠因だ。私の期待に反し、父は全身で「父親」を務めてはくれなかった。(中略)父にはまるで自覚がなかったが、父以外の面が家のなかで垣間見えるとき、私は娘という肩書きを失う。属性のない者に居場所はない。苛立つ私に父も辟易していた。
親の「男」や「女」としての面を見てしまうことはとても居心地が悪い。
私も母に「明日はバレンタインだからどの人とデートしようか迷ってるのよね~」とるんるんで言われたときには、顔を引きつらせながら「へぇ…」とか何とか言うのが精一杯だった。
著者の「父」の場合も、うちの母の場合も、誰とデートしようが交際しようが何の問題もない。法的にはもちろん、社会的にはむしろプラスですらあるかもしれない。当然本人たちが楽しかったり精神的に満たされたりするなら、こちらも黙って見守るなり目を逸らすなりすべきだ。
しかし親を「親」として見て「子」を演じることでしか家族を維持する方法がわからない状況で「男」または「女」としての親を見てしまうと、自分の立っていた足場がスコンと抜けてしまったような覚束ない気持ちになる。
そんなのこっちのわがままだと頭ではわかっているからなおさら、抑えきれないフラストレーションは自分を攻撃したり親を攻撃したりとややこしい形で噴き出してくる。
さらに実家の片づけのなかで母の「秘密」を見つけてしまった著者は、「限界家族」になる以前の家族さえ、信仰ともいえるある種の幻想によって成り立っていたことに気づいてしまう。
不完全ながらも気楽な我が家。それは私が私を納得させるために長い時間をかけ完成させたスローガンだ。押入れの秘密を暴いたせいで、掲げた旗はどこかへ飛んで行ってしまった。
父や母が「親」に見えていたのは、彼らの努力によるもの、または自身の現実逃避によるものにすぎない。「家族」を続けたいのなら、「親子」を辞めなければならない。
実家の整理は葬式だ。
「親子」としての時間を紡いだ実家を手放すことは、「親」や「子」の鋳型で作られた人格を葬り、親子関係の解体を始めることなのだ。
しかしその解体作業は簡単なものではなく、強制力をもった何かが外からやってきたとき、ようやくためらいがちに着手される。
その最たるものが、親の「老い」だ。
ある日父の歩き方に不安を覚えた著者は、少しハードなエクササイズを教える。
爺さんには酷かと思ったが、素直に言うことを聞き何度か試してくれた。今度から、会ったときには必ずこれをやろう。歩けなくなった父を見たら、私の気持ちが潰れてしまうから。
父の老い、特に寝たきりという決定的な老いを怖れる気持ちを自覚する著者は、それを先延ばしにしたい思いを持ちつつも、親の老いとその先に待っている死が避けがたいものであることに気づいている。
そして、叔母の死がその感覚をさらに現実味のあるものにする。
「ひとりは大変だよ」
叔母の後見人になっていた、うんと年上の従姉がわざとぶっきらぼうに言った。
配偶者のいない私は、皆に心配を掛けてしまっている。
「ひとりではないよ」
強がり半分の返事をして、私はその場を離れた。
親族という広義の家族を失うことで、親の老いも、もはや子どもではない自分の現実も、それと共にやってくる責任のようなものも、ぐっと身近に迫ってくる。
結婚という一種の成人儀礼を通過せずにいることも、普段は何の問題も感じていなくたって、こういう時ばかりは「強がり」で乗り切るしかなくなってしまう。
『生きるとか死ぬとか父親とか』というタイトルの通り、この本には生や死の話、特にその抗えなさがしばしば描かれる。母の通院に同行することをしぶったり、父にエクササイズを教えたり、叔母を買い物に連れ出したり、現実逃避から現実的な対処まで手をつくして生にしがみついたとしても、その結末に待っている死。
だからこそ、「親」と「子」の関係でい続けたら、その結末を迎えたときに「気持ちが潰れ」るだけでは済まなくなってしまうかもしれない。
憎んだり蔑んだりのフェイズをなんとか通過し、父の人間関係すべてに「娘」という札で切り込まないマナーを、私は生きる術として体得した。
これはもちろん、今現在の父娘関係を良好に保つスキルとして述べられているものだけど、私にはこれが親の老いやその先の死にも耐えられるようになるための、「親子」関係からの卒業のいちフェーズに思えてならなかった。
個人的に最もどきっとしたのは次のシーンだった。
「実家と呼べるものはどこにもない」と不貞腐れた私に「大きな事故に遭ったとか、お金が一銭もなくなったとか、どうしても友達には頼れない緊急事態に連絡する先が、実家なんじゃないの?」と同居人は言った。
私は父に連絡できるだろうか。本当に憑き物が落ちたのだとしたら、できるかもしれない。
私は、できない。今日も初めていく病院の予約時に緊急連絡先を聞かれて、数か月前に別れた恋人をフィアンセだと偽って伝えた。ひどい。もう一人と言われた時にすら、悩みに悩んで同居している大家さんの名を挙げた。
「子」としての顔しかできないという話と矛盾するようだけど、これはおそらく反抗期の延長線上なのだと思う。親には頼らない、と虚勢をはってないと、親に「親」の顔をしていてほしいと願う自分の幼さと情けなさに気づいてしまう。「親子」を抜けだして「人と人」になれていたら、たまに弱みを見せるくらい別に平気なはずだよね。
時にはまだまだ意地をはる子どものように、時には腐れ縁の友達のように、時にはしっかり者の保護者のように、様々な目線から著者は父の姿を描いていく。そのエピソードがいちいち魅力的で、雑誌にタレ付きレバーを落とした時のつっこみなんて最高なのだけど、そこまで書いてるときりがないのでやめておく。
うちの母も高齢出産で、今は独身で、娘の私はひとりっ子(未婚)で、そういう色々が重なってこの本はどうしたって他人事という気がしなかった。私がまだ学生でろくな収入もなく、さらに今は母をひとり残してハワイに来てしまったこともあり、母が古希を迎えたという事実には罪悪感だか寂しさだか不安だか訳の分からない感情がうずまく。
でもだからこそ、「実家」にも「親子」にもとらわれない新しい「家族」として父娘の関係を結びなおそうとするこの本の内容には、学ぶことと励まされることばかりだった。
一日一回の生存確認みたいなLINEだけじゃなく、たまには電話でもしてみようかしら。うーん、たぶんしないな。まだちょっと、あれだね。
でも一時帰国したときには、この本を思い出しながら母に会ってみようと思う。
昨日書き終わらなくて日本は7月8日になっちゃった。でもまだハワイは7日だからね、ハッピーバースデー、お母さん。