煉獄日記

目指せ天国。

もうひとつのピリオド.

今から四年半ほど前、私は浮かれきって毎日SMAPの「セロリ」を聴いていた。「一人じゃ持ち切れない素敵な時間に 出来るだけいっしょにいたいのさ」、そんな歌詞に励まされ、自分の決断と行動に浮足立っていた。

私にとって、「好きな人」と「付き合いたい人」はかなり別物だ。というか、「付き合いたい人」は好きになった人の一部、体感的には4人に1人くらいでしかない。誰かを好きだと思っても、年齢や性別や社会的地位などの問題から、付き合いたいと思わないどころか、好きだと思う気持ちさえ「ただの憧れだ」と自分に言い聞かせて打ち消すことも多い。ずっとそういう恋愛ばかりをしてきた私に、26歳のころ、「好きだし付き合いたい」と思える相手ができた。

もちろん、恋愛関係に入る恐怖は当時もあった。「好き」と「付き合いたい」の不一致に慣れきっていた私は、「本当に彼と付き合いたいのか」と何度も自問した。そしてその疑問に答えてくれたのが、「セロリ」だった。

「一人じゃ持ち切れない素敵な時間に 出来るだけいっしょにいたいのさ」

「つまりは単純に 君のこと好きなのさ」

そういう気持ちでいいか。うまくいかなかったらそれでいい。何もこれで人生を決めるってわけじゃないんだから。よし、告白しよう。そう心に決めて気持ちを伝え、彼と付き合い始めたのが2015年の年末のことだった。

 

そして今日、その関係にピリオドを打った。婚約解消。4年ぶりのフリー。30歳、彼氏無し。うむ、なかなか色々思わせる響きだ。

「恋愛関係にない女の子と結婚したい」という気持ちをはっきり表明し、恋愛結婚や女性扱いされることへの違和感を言葉にしてしまったら、これまで曖昧にしてごまかしてきたこと、つまり「もうしばらく遠距離だから考えなくていいか」と棚上げしていたことが、棚の上から落ちてきて自分の前にがらがらどっしゃーんと出てきてしまった。「で、どうするの?」と、正直になった自分が事なかれ主義の自分を問いただし続け、耐えきれなくなった。何がそんなに嫌になってしまったのか。やはりこれは、彼個人や互いの相性というよりも、私自身の問題だったように思う。

まず、彼と二人になるとどうしても相手の機嫌をとってしまう自分がいた。基本的には仲良くしていたにもかかわらず、これまでに何度も(四年以上付き合っていれば当然である)彼が怒る姿を目にしていた私は、それを避けることばかりを考えていた。一人でいるより二人のほうが楽しそうじゃない、と「セロリ」を聴いて付き合い始めたのに、いつの間にか二人でいる時間は私にとって奇妙な緊張感を伴うものになっていた。怒っている男性が怖いという気持ちを、私は克服することができなかった。

そして、「女の子」扱いされることも、もう長い間とても苦しかった。何より苦しかったのが、その「女の子」扱いというのが、しばしば一般的にはとても良いとされている内容だったことだ。髪型を変えたら「かわいいね」とほめてくれる。ちょっとお洒落(というか私の気持ち的には「女装」)をすれば、「きれいだよ」とも言ってくれる。それが“普通の”女の子にとっては、言われて嬉しいことであり、恋人との関係を良好に保つため有益な言葉であることくらい、私もわかっていた。そもそも、お互いストレートの男女が交際をしている、という前提で関係が成り立っている以上、彼が私を女性として褒めたり評価したりしてくれるというのは良いことであるはずなのだ。それでも私は、そこに生じる親密さが心地よいと思ったことはあっても、それらの誉め言葉に素直に喜ぶことはできなかった。

どちらのことも、相手には伝えてあった。怒る人が怖いから、かっとなったらお互い一回物理的に離れるようにしよう。人として褒められるのは嬉しいけど、女性として褒められるのは不快だからやめてほしい。レディーファーストのような態度はとらないようにする。私のわがままとしか言えない要求は、四年という月日の中で様々な約束事を生み出していった。彼はそれをできる限り守ってくれたし、そうやって私たちは、結局はうまくいかなかったとはいえ、結婚を約束するまでの関係を築いてきた。

しかし、彼が男性であり私たちが恋愛関係にあるという、あまりに根本的でどうしようもない部分から生じる問題に、私の感情はくすぶり続けた。そしてそれが、「結婚」に関するブログを書いたことにより明白になり、あふれ出してしまった。

 

私のこんな勝手な事情で振られた彼には申し訳なさしかない。私としては、寂しさはあるが後悔はしていない。これでよかったのだと思う。というか、私は私で十分限界までがんばったと思う。

まだ今後の事を考える余裕はないけれど、でもぼんやりと思う。これから先、私は男性と普通に付き合えるのだろうか。ちょっとデートをしたり、短期間だけ親密な関係を築いたり、それくらいならできるかもしれない。でも、男性が怖い、女性扱いされるのがつらい、という気持ちを抱えたまま、安定的で長期的な関係を築くことは可能なのだろうか。そもそも私はそれを望んでいるのだろうか。

この別れは、ただの一つの恋愛の終わりにすぎないのかもしれない。または、これが長期的に男性と付き合う最後の経験になるかもしれない。もしかしたら、「恋愛関係にない女の子と結婚したい」という願いをかなえる第一歩なのかもしれない。いずれにしても、ひとりになることで、自分が本当は何を望んでいるのかをゆっくり考える時間が与えられたと思えばいいのかな。

まあ今考えることではないし、そもそも結婚も恋愛も相手ありきのものなのだから、こうしてひとり相撲をとっていても仕方がない。今夜から始まる無観客の大相撲のことを考えた方がまだ有益である。「むかんきゃく」って言いづらくない?

 

前に2人で「朝日を見に行こうよ」を聴いていて、「この歌詞に出てくる人たちは何歳くらいかな?」と私が尋ねたことがあった。そこで彼はちょっと考えた末に、「大学生。もっと細かく言うと、就職を控えた大学4年生」と言った。

あまりにも完璧な答えだと思った。あの歌に含まれる、少々夢見がちな幼さと、相手を思いやる優しさと、将来を見据える視線と、そういうものを「就職を控えた大学4年生」という言葉で彼はぴたりと言い当てた。

彼のそういうところをとてもとても良いと思っていた。別れた直後にこんなこというと未練たらたらみたいだけど、そうではなく、単純に彼と過ごした四年間はとても満ち足りたものだったということを、私はしっかりと覚えておきたいのだ。

私の体調が最悪で、両親との関係もどんどん悪化して、桃の死もあって。そういう時間を共有してくれた、それこそ一番「家族」に近いような存在でいてくれたことを、心から感謝している。

一通り話が終わった時、「付き合うことが、僕たちが仲良くなる近道だったのかもね」と彼は言った。私たちの関係が今後どうなるかわからない。アメリカに留学している者同士励まし合ったり、同じ分野で研究職を目指すもの同士アドバイスをし合ったり、そういう関係が続くことを願っている。でもそういうものが失われたとしても文句は言えない。私はそういう決断をしたのだと、それはちゃんとわかっている。

 

まさか、『結婚の奴』を読む、色々考える、ブログを書く、という一連の作業がここまで自分を動かすと思わなかった。でも、きっとこれでいい。

今はまだちょっとめそめそしているけど、でも私には読むべき本と書くべき論文がある。研究者になるという目標がある。休んでいる暇はない。本当はこんなブログを書いている暇だってない。でも、この気持ちは覚えておきたい。きっと、大丈夫。

 

「そうさ悲しくなったとき 思い出してみてごらん

 きっと忘れないで 二人の思い出を大切にね」