煉獄日記

目指せ天国。

ともだち100人できるかな

夏休みだ。ハワイで過ごす初めての夏休み。そして何より、留学一年目を生き延びた後の夏休み。
今日すべての課題を提出して夏休みに入ったばかりなので、正直まだ実感はないし、ただただ気が抜けている感じ。でも、こうやってぼーっとすることも学期末を駆け抜けた後にはきっと大事。
夏休みのことや今学期のことはまたそのうち書くとして、学期末に書きかけたまま放ってあった文章の続きをまずは書こう。

 

最近ヨルシカの歌をよく聴いている。勉強の合間や、これを書いている今まさにこの瞬間も。
ヨルシカのことはよく知らない。この間までは「名前だけはなんとなく」くらいしか知らなくて、今も音楽は気に入ってるけどアーティスト本人についてはほぼ何も知らない。それでもアップテンポな曲の雰囲気が気に入って聴いている。
しかし、歌詞を聞くと、なんというか、「若いなあ」という気持ちになる。この歌詞を書いた人が何歳くらいなのかももちろん知らないけど、10代の子にうけそうな歌詞だなと思う。
それは何も、馬鹿にしているとかそういう気持ちではない。むしろ、私も過去に感じたことのあるような思春期ゆえの何かを歌詞の中に見つけ、なんとも懐かしいような気持になる。ただ、それが「過去だな」とも感じてしまう。

 

久保ミツロウ能町みね子の俺たちデトックス女子会が最近YouTubeで配信されている。イベントには興味はあったけど行ったことはないので、私にとって初めてのデトックス女子会だ。
すでに何回分かが配信されているけど、その初回が私はすごく好きだった。

初回の内容は、久保さんと能町さんが仲良くなったきっかけについての話。知り合った時の話は前にどこかで聞いたことがあったけど、そのあとの展開について聞くのは初めてだった。
詳しくは書かないけど、ざっくり言えば、あるきっかけで初めて電話をしたらそれが長電話になり、その会話が「デトックス」と呼べるほど気持ちよく、それがそのまま現在のイベントにまで発展したという話。

その話があまりにも良くて、私はなんだか感動してしまった。

2人の関係は、大人になったからこそ築けた友人関係なんだと感じた。十代のころのように、一緒にいる時間が親密さを担保してくれるような関係ではなく、お金と行動の自由を手に入れた後に自分と合いそうだと思った相手に自分から手を伸ばして築く関係。一緒にいる心地よさや楽しさがなければ続かないし、続ける必要もない。
職場とか、近所づきあいとか、ママ友とか、楽しくなくても続けなきゃいけない人間関係は大人になったってもちろんある。ただ、それを「友人関係」だと無理に定義したがる人はあまりいない。なんというか、大人になるってそういうことだと思う。
だからこそ「この人と友達になりたい」とか「この人と仲良くなれた」という感覚って貴重だなと思う。久保さんと能町さんの長電話のように、何か「一線を超える」瞬間は恋愛関係でなくとも存在すると思うし、それを大人になってから友人関係で経験するのはわりと難しい。少なくとも私は、その「一線」が見えそうになるとちょっとたじろぐ。

だからこそ二人の出会いのエピソードは、私にとって希望だ。少しだけ羨ましさのまじった、大きな希望だ。

 

そんなことを考えていたころ、私は学期末の課題で疲れ切ってしょぼくれていた。ただ疲れているというより、疲れが精神面を侵食し始めるところまでいっていた。
クラスメイトとはオンライン授業で話していたけど、彼らは私にとってやはり「仕事仲間」に近い存在で、しかも話すのは授業中で、もっとだらだらとくだらない話を友達としたかった。というか、「友達」と確信を持って思える人と話したかった。

「人と話したい」という私の雑なお願いに友人は応えてくれて、数か月ぶりに電話でおしゃべりをした。

話のペースも内容も、本当に「だらだら」という言葉が似あう感じの会話をした。だらだらすぎて何を話したかはほとんど覚えてないんだけど、でも私はその時の友人の態度にとても救われた。

おそらく私はあの時、結構ぎりぎりの精神状態で、画面越しでも私の落ちてる感じや疲労感はだだ漏れだったと思う。でも友人は励ますでも共感するでもなく、ただ一緒にだらだらしてくれた。いつも通りに、そこにいてくれた。
元々そういう付き合い方をしている友人ではあったけど、あの時は「『日常』で待ってるからそのうち戻っておいで」と見守ってもらえているような感じがして、それがとてもありがたかった。そこにあったのは、共感でも励ましでもなく、信頼だった。そんな友人の態度に、私はどんな励ましの言葉よりも励まされた。

人に共感されるのが苦手で、特にネガティブな感情に関しては「わかるよ」と言われても「何が?」と思ってしまう。相手が自分自身の経験に照らして共感の言葉をかけてくれているならともかく、想像で「つらかったね」とか「大変だったね」とまるで相手もつらい思いをしたかのような顔で言われると、私はちょっとひいてしまう。
ただ、共感されるのが嫌、する必要性も感じない、などと言うと、まるで冷たい人間みたいだし、こういう性格というか性質を元彼に繰り返し責められたこともあって少しモヤモヤしていたんだけど、今回の電話で確信した。やっぱり私はこの感じがいい。

話聞いてくれてありがとね、おかげさまで無事学期末を乗り切りました。

 

まとまりのない文章だけど、今日はここまで。眠い。
10分散歩を毎日続けているのですが、その時に撮った写真をおまけに載せておきます。

 

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