煉獄日記

目指せ天国。

恥の多い(良い)人生

高校三年生の冬。私を含む高校の同級生たちは、勉強のしすぎで少々おかしくなっていた。といっても悪い意味ではない。「箸が転んでもおかしい」が完全に行き過ぎたような状態になっていた。

そんな状態で私と友人が教員室にいたところ、ひとりのベテランおばあちゃん先生がやってきて、友人に声をかけた。

「またそんな短いスカートはいて!」

すると、友人はすかさず言い返した。

「髪の毛紫に染めてる先生に言われたくないですよ!!」

私、爆笑。周りの先生方も、笑っている顔を見られないようそっぽを向いてクスクスにやにや。

この出来事を思い出してふと思ったのだが、これって結構すごいことだったのではないだろうか。

 

私の高校(厳密には一貫校だったので中学と高校)は、まともな校則がひとつもないような自由な校風で、もちろん制服もなく皆私服で学校に通っていた。そのため、そのおばあちゃん先生(以降、便宜上「紫先生」と呼ぶ。先生ごめん)の発言は決して「校則を守れ」といった意味のものではない。さらに言うならば、紫先生の言葉に、教員という「上」の立場の人間から「下」の立場にある生徒への抑圧といったニュアンスは一切込められていなかった。

それは友人の返答や周囲の先生の反応からもわかるだろう。「スカートが短い」という紫先生の言葉は、あくまで先生ひとりの意見であって、その意味は「おなか冷えるわよ」とか、せいぜい「みっともないわよ」といったものでしかなかった。だからこそ、「スカートの短さ」に相応するものは「紫の髪の毛」ということになるわけだ。それにしてもそれを瞬時に言い返した彼女はすごい。

当然友人の言葉は、気の利いた返答、または少々生意気な返答ではあっても、「反抗」でも何でもないので、他の先生たちも叱らない。むしろ隠そうとしながらも、全然隠し切れないでふつうに一緒になって笑っている。

ちなみに紫先生はその後、「まあ失礼ねー!」と言って去っていった。今思い返しても、中高時代の平和な記憶と混ざり合ったこのエピソードは、私を少し幸せな気持ちにさせてくれる。

 

この紫先生は、現代文の先生だった。先生に言われて今でも覚えている言葉がある。それは、「若いうちに汗と字と恥をかきなさい」というものだ。

 

今日、大学院の授業で、初めてまともにディスカッションに参加できたという感触があった。

ディスカッションでそれなりに発言をしたことは今までもあったが、私が何か長くしゃべるときというのは決まって「日本人」として何かを発言する時だった。日本語の解釈や日本の政治状況、歴史、文化、そういったものに関する「ネイティブ」としての「解説」を求められる時、という意味だ。

もちろんそれに応えることも、私が留学生である以上ひとつの立派な授業参加方法だろう。しかし、私の専門はアメリカ(文学)研究であり、日本のことなど私いち個人の意見しか言えない。だからこそ、そういう発言をいくらしたところで、なんとなく議論に参加できた気持ちにはなれないでいた。

それが今日、初めて、文学を学ぶ人間として意見を言うことができた。歴史や政治を専門とする他の学生の中で、自分が何年も学んできた文学研究という立場から議論に参加することができたのだ。授業への貢献、または英語でコントリビューションと言った方がしっくりくるが、そういう行為をようやく少しでもできた気がして、とても嬉しかった。

 

しかし、そこで思い出したのは、「汗と字と恥をかけ」という紫先生の言葉だった。

なぜか。それはやっぱり、英語力の問題だった。長くしゃべればしゃべるほど、英語がぼろぼろになってくる。同じ単語やフレーズの繰り返しになったり、他の学生から助け舟を出してもらうことも必要になってくる。それはまあ、なかなか恥ずかしい。もどかしいし、「こんな下手くそな英語を聞かせて申し訳ない」みたいな気持ちすらわいてくる。

でもそこで紫先生の言葉を思い出した。恥をかくのは、いいことなのだ。

「できない」ということを正直にさらけ出しながら、自分なりに「できる」ことで周囲に貢献する。そういう自分を否定しない。恥をかいても大丈夫だと、周りを信用する。これは私の拡大解釈かもしれないけど、私は紫先生の言葉をそんな風に理解して、今日もまたその言葉に助けられた。恥ずかしかったけど、これでいいんだ。私はやるべきことをやったのだ。

ちなみに「若いうちに」というのは、文字通りの意味ではない。むしろ紫先生が言いたかったのは、「汗と字と恥をかく」ことができるうちは「若い」ままでいられるということだったのだと思う。身体を動かして(人のために)働くこと、字を書いて自分の意見を述べること、そしてその結果として恥をかくこと。これはなかなか気力体力のいることだが、それをやめなければ若いままでいられる。そこには伸びしろがある。成長の余白がある。失敗しても、間違えても、正しい道に戻る力を持っていられる。そういうことを、紫先生は伝えたかったのだろう。

 

紫先生はそういった意味で、まさに「若い」ままの人だった。というか、高校の先生方はそういう人が本当に多かった。

生徒の意見を「子どもの意見」とばかにしない。対等なひとつの意見として聞き入れる。そして生徒が正しいと思えば、それも受け入れる。大人になった今だからわかるけど、そういう人間でい続けることはとても難しい。

勉強の面でも、「学ぶ」という行為を共に楽しむ、学問という大きなものに対して私たちを導きながらも共に前を向いて進もうとしてくれる、そういう姿勢の指導を受けてきた。私は当時とってもとっても不真面目な生徒だったので、そのことに気づくまでずいぶん時間がかかってしまったけど、高校生のうちにそれに気づけて本当によかった。大学に入ってからはずっと教育関係のアルバイトをし、今もある種の教育者を目指しているのは、間違いなく先生方の影響があってのものだ。

生徒たちを信頼し、見守りながらも、対等に接する。これは生徒に限らず、部下、後輩、子ども等々相手でも言えることだろうけど、なかなか大変だ。そして、大変どころか不可能だと思っている人も世の中には多いように見える。でも、それは違う。誰かを指導する立場になるということは、まずは相手を信頼すること。それが可能で、有益で、何より幸福なことだと私は十代のうちに学ぶことができた。先生たち、本当にありがとう。

 

高校の卒業式で「ノブレス・オブリージュ」という言葉を覚えておくように、と校長先生から言われた。当時は、「そんなスノビッシュな」などと思い真剣に考えていなかったけど、それがそんな意味ではないことも、高校を卒業して10年以上が経った今、わかってきたように思う。

あの学校で学べたこと、あの環境に守られて思春期を過ごせたことは、まぎれもない私の宝だ。そして、その宝は人に分け与えるために私に預けられたものなのだ。

私は人文系の研究を、少し極端な表現になるが、「常識」を疑う最前線にたって戦うことだと思っている。それを続けるためには、汗も字も恥もかかないときっとやっていけない。そして私はそれを「やりたい」と思い、ある程度は「きっとできる」と自負している部分もある。そういう気持ちを持てること自体が、これまで私にたくさんのものを与えてくれた人たちのおかげなのだ。そして私には、それを社会に還元する義務がある。その「社会」は、まずは隣の人とかクラスメイトとか、小さな集団でいい。汗も字も恥もかきながら、その小さな社会に貢献し続けること。それが私のやるべきことであり、何よりやりたいことなんだと感じている。

 

今日の授業で嬉しかった話を書くつもりだったのに、なぜか高校の話ばかりしてしまった。でも、私は何かいいことがあるたびに、心のどこかであの高校に感謝しているのだから仕方がない。

紫先生、元気かなあ。次に帰国したら、久しぶりに手紙を書いてみよう。