煉獄日記

目指せ天国。

一万円のへそくり

中学2年のころから大学に入ってアルバイトを始めるまで、私は部屋にずっと一万円のへそくりを隠し持っていた。その出どころがお年玉だったかお小遣いだったかは覚えていないけど、「これだけは」とずっと使わずに置いておいた一万円があった。

そのきっかけは、夜中にかかってきたお巡りさんからの電話だった。

「お母さん、酔っぱらっちゃってちょっと家帰れなさそうなんで、迎えに来てくれます?」

夜中1時過ぎ、当時住んでいた家から電車で30分ほどの街にある交番からだった。予想外の出来事に混乱し、どうにかしなくちゃ、私がお母さんを迎えに行かなくちゃ、と焦りに焦ったけど、何か異変を察したお巡りさんに「お嬢さん、いくつ?」と聞かれ、「中2…」と答えたところ、父が迎えに行くことになった。

そのころすでに十分すぎるほど仲の悪かった両親が、しかもその時間であれば父も半ば泥酔状態であることは確実で、その二人が交番で会い一緒に帰ってくるなど、恐怖でしかなかった。

しかし、中学生の私にはどうしようもできなかった。その夜は結局ドキドキしながら布団にもぐり、両親の帰宅を待った。そのあと近所迷惑なほどの夫婦喧嘩が勃発したことは言うまでもない。

次にこんなことがあっても大丈夫なように。タクシーに乗って私が迎えに行けるように。そう思って私は部屋に一万円を置いておくことにした。幸いその一万円を使う機会は訪れなかったが、大人になった今振り返ると、中学生の自分が不憫でちょっと泣けてくる。

 

私にとって、ひとりっ子であるということは、こういう経験の一部だった。

両親に何かあったら私が一人で対処しなければいけない。そのプレッシャーはなかなか耐え難いもの。特にまだどう頑張っても「子供」だったころは、それが本当に嫌だった。

できることなら兄か姉が欲しかった。両親のいざこざなんて、押しつけてしまいたかった。でも、妹か弟でもよかった。そうなったらもちろん私が「責任者」状態なのは変わらないけど、守る相手がいるだけで人間は意外と強くなる。もちろん桃ちゃんはそれに近かったけど、あの子は人間に比べたら自立しすぎていたので、やっぱり孤立無援な感じに変わりはなかった。

小学生の頃一時期だけ、ひと回り以上年の離れた従兄弟が同居していたことがある。あの時のものすごい安心感は忘れられない。大きな兄ができたようで、両親と私という閉じられた関係に第三項ができたようで、っていうかもうとにかく今は私が両親の世話をしなくてもいいんだという安心感がすごかった。

 

両親の不良っぷりというのは私の特殊な体験だろうけど、そうでなくてもやはりひとりっ子というのは不必要に強いプレッシャーの中で生きている場合が多々あるように思える。

よく「ひとりっ子は甘やかされて~」なんて言うけど、冗談じゃない。ひとりっ子というのは、良くも悪くも子ども扱いしてもらえない。家の中にいる大人の数が多い分、すべてが大人のペースで回り続ける。家の空気が、大人の論理ベースなのだ。

たとえば買ってほしいおもちゃがあるとする。「みんな持ってる」なんてお決まりの言葉を言う。「みんなって誰?」などと親もお決まりの言葉を返す。そこら辺まではどの家庭も同じだろうが、ひとりっ子の場合この後が厳しい。買ってくれないにしても「そんなわがまま言わないの」で済むところを、「そんなくだらないものを欲しがるなんで、あなたはとても子どもっぽい」という謎の論理で叱られる。子どもっぽいっていうか、子どもなんですってば。

もちろんこれは我が家の実例なので他の家には他の家の論理というのがあるのだろうけれど、私が見てきたひとりっ子の友人は、なぜかこの「大人の(勝手な)論理」に早くから巻き込まれて自分に厳しい人が多い気がする。

子どもが子どもとして愛されたり叱られたり、そして何より子どもっぽいことそのものを受け入れてもらったりするのは、いわゆる自己肯定感に直結する。年相応とは言えない我慢や「物わかりの良さ」は、本当は子どもに求めちゃいけない。

 

そしてまた、ひとりっ子は「いつかひとりぼっちになるのだ」という心構えで生きることを強いられる。

もちろんいつか結婚をしたり、子どもができたり、いろいろ「ひとりぼっち」じゃなくなる方法はある。でも確証はない。そして私たちくらいの世代になると、離婚も生涯独身もわりと普通だったからこそ、親は言うのだ。「ひとりで生きていけるようになりなさい」と。

人によってはそれが学歴を手に入れることや、安定した仕事に就くこと、もしくは矛盾するようだけどいい旦那さんを見つけることになるかもしれない。しかしいずれにしても、ひとりっ子たちは「親が死んだらひとりぼっち」という事実を早くから突きつけられる(ことが多い気がする)。そしてその対処ができるような人間になることを求められる。

兄弟がいたって30歳も過ぎればおんなじだよ、と言われるかもしれない。しかし、子どものころからその脅しを受けて育つかどうかというのは、やはりその人の性格を大きく左右するポイントになってくるのではないか。

 

適当なことを書いた。ソースは私の数少ない友人たちなので、いくらでも反例はあるだろう。しかし、私のそのわずかなひとりっ子の友人たちが、皆責任感も自立心も強いのにちょっと孤独を噛みしめながら生きているのを見ていたら、これをどうしても書きたくなってしまった。

ずっと昔、「結婚できなかったら老後には独身でひとりっ子の女性専用シェアハウスをつくって住む」と言ったら、「ひとりっ子以外もいれてよ!」と言われ、まあ60歳だか70歳だかになって兄弟姉妹とか言うのも変か、とその時は思った。でも、やっぱりひとりっ子専用がいいな、って今になって思う。ひとりっ子たちの、ひとりにしてくれないと死んじゃうけどずっとひとりでも死んじゃう、みたいな面倒くさいところが私は結局とても好きなのだ。その距離感を共有できる子たちとなら、楽しく暮らしていける気がする。いやもちろん、前に書いたような意味での「結婚」をしたいっていう方が優先ではあるけど。

 

今朝、もうだいぶ長い付き合いになる友人(もちろんひとりっ子)から連絡が来た。大丈夫じゃなくなったら助けてあげる、と本気で言ってくれる彼女は優しい。でもその理由として「ひとりっ子だからね」と付け加える彼女は、さすが私の友人、という気がする。

世界中の(特に私の友人の)ひとりっ子たちに幸あれ!