煉獄日記

目指せ天国。

欧米人の見た相撲③イギリス外交官ミットフォード

ペリーとその周辺の人たちの話を書いてからすっかりご無沙汰になっていたけれど、実は夏休みに入ってからまたちょこちょことリサーチを進めていた。明治時代に相撲を観たり、相撲について書いてる欧米人は想像以上に多くて、探せば探すほど次々出て来るのが面白い。

多少の前後はあるだろうけど、できるだけ時代順に書きたいと思っているので、今回はイギリスの外交官として日本に滞在(1866-70年)し、日本について複数の著作を残しているアルジャーノン・フリーマン=ミットフォードのTales of Old Japanを読んでみようと思う。

今回使う資料は以下の通り。さっと読む分にはGutenbergのテキストが向いてるけど、HathiTrustの方はオリジナルの手触りがわかって眺めるだけでも面白い。使い勝手がいいので、引用にはGutenbergの文章を使用する。

Tales of Old Japan. By Algernon Bertram Freeman-Mitford. 1871 (明治4年).
Gutenberg/HathiTrust, 相撲の記述は "THE WONDERFUL ADVENTURES OF FUNAKOSHI JIUYÉMON" の章の最後の方にある。翻訳はないらしい。

 

ミットフォードが日本に滞在した期間はちょうど明治時代が始まる頃。まだまだ幕府を支持する人も多く、外国人に対する疑いの眼差しも強かった。外交官とはいえ、国内の移動は厳しく制限されていたし、うかつに出歩けば外国人だからというだけで襲われたり殺されたりする事件も少なくなかった時代。
しかしミットフォードはその激変する日本社会を眺めながら、古くからの日本の風習に興味をそそられ、日本語を猛勉強し、失われつつある「古い日本」を記録しようとした人。今回扱うTales of Old Japanを『日本昔話』と訳す人もいるようだけど、たとえおしゃれじゃなくても『古い日本の物語』と直訳する方がミットフォードの意図には近いように思う。確かにこの本に収められている話は日本人の感覚からすれば「昔話」なんだけど、彼にとってはそれが、明治維新と共に現れた「新しい日本」と対照的なそれ以前の「古い日本」を象徴するものだからこそ大事だったみたい。

そんな元祖日本オタクみたいなイギリス人には相撲がどんな風に見えたのか、まずは相撲の直接の説明以外の部分から注目してみたい。

 

1. 文脈

先に述べた通り、相撲の説明があるのは "THE WONDERFUL ADVENTURES OF FUNAKOSHI JIUYÉMON" の末尾で、まるでこの物語のおまけみたいな感じで書かれている。
この船越重右衛門の物語は歌舞伎や講談の題材として昔人気だったものみたい。今現在の事はわからん。

物語の内容は、諸事情で国を追い出され浪人になった重右衛門が大阪にきて嫁をもらったが、その嫁が浮気相手と共謀して重右衛門を殺そうとして云々という感じ。ざっとしか読んでないので正直細部どころか大筋も覚えてないけど、この浮気相手として出て来るのがイケメン力士高瀬川九郎兵衛。
しかしこの高瀬川、顔はいいし女にもモテるようではあるけど、めっちゃ情けない。浮気現場が重右衛門に見つかりそうになると「隠れる場所がないよ~」と大慌て、重右衛門毒殺計画が失敗しそうになれば一目散に逃げようとするのに重右衛門にあっさり力負けして捕まり、重右衛門の妻と共に殺される。ミットフォードはこの物語を、日本の結婚観・貞操観念の例として挙げているくらいなので、浮気相手のやさ男は実直なサムライ重右衛門の引き立て役になってます。

つまりこの物語に出てくる力士は、大きな意味での芸人扱いなんですね。もしこの物語だけを読んだなら、日本の "wrestler" と呼ばれる人は大きくて強い人気者らしいけど役者とか芸者の仲間のエンターテイナーなのかな、と読者が勘違いしてもおかしくはない。
おそらくミットフォードもそれを案じたのか、この物語の内容とは全く結び付かないような相撲の説明をしています。

 

2. イラスト

本の序文でミットフォードは、「内容に不備はたくさんあると思うけど、少なくともイラストだけは日本人の有名な木版画家のものだから信用してね」というようなことを言っている。
Ôdakéという綴りで呼ばれるこの木版画家は、おそらく「尾竹」のことで、Wikipediaには「いわゆる尾竹三兄弟」と書かれていたが、「いわゆる」と言われても残念ながら知らないし、その三兄弟のうち誰がこの本を担当したのかもわからない。でも確かに日本人が担当しただけあって、ペリーの本にあったイラストに比べれば、かなり信用できる感じもする。

A WRESTLING MATCH.

たとえばこれは "A WRESTLING MATCH" というキャプションと共に載せられているイラストで、体形や表情を見ても日本人が想像する力士に近い。

もう一枚の "CHAMPION WRESTLER"、つまり横綱のイラストも、しめ縄も化粧まわしもしっかりつけて、その立ち姿には威厳のようなものを感じる。

CHAMPION WRESTLER.

それまでは「野獣」とか「怪物」とか言われて絵でも言葉でも人間より動物に近い表象をされていたことを考えれば、この本のイラストは力士のイメージを大幅に変えるものだっただろうと思う。

 

3. スポーツ?

ようやく相撲の説明部分に入る。この本の方針として、ミットフォードは基本的に自身の見聞ではなく日本語資料からの翻訳・編纂を中心に据えているため、彼自身の言葉というのは少ない。相撲の説明も大半が歴史書からの引用で、ミットフォード自身の言葉はその前後に一段落ずつ添えられているだけ。

じゃあそこで彼は何を書いたのか。読んでみると、最初も最後も西洋的な「スポーツ」や「トレーニング」の概念から見たときの力士の特異性について述べられていることがわかる。

The fat wrestlers of Japan, whose heavy paunches and unwieldy, puffy limbs, however much they may be admired by their own country people, form a striking contrast to our Western notions of training, have attracted some attention from travellers; and those who are interested in athletic sports may care to learn something about them.

これは相撲の説明の導入部にあたる文章。でっぷり太った日本のレスラー(=力士)は日本の人たちからはとっても尊敬されてるけど、西洋的な「トレーニング」の対極にある姿は旅行者を驚かせるだろう。スポーツに興味のある人は彼らについて学んでみてもいいんじゃないか。そんな感じの事を言っている。
つまり力士の姿は、西洋人からするととても運動に適しているようには見えなくて、見た目と動きのギャップが注目どころだったようだ。

末尾の説明でもミットフォードは似たような指摘を繰り返している。

The Japanese wrestlers appear to have no regular system of training; they harden their naturally powerful limbs by much beating, and by butting at wooden posts with their shoulders. Their diet is stronger than that of the ordinary Japanese, who rarely touch meat.

力士にはシステム化されたトレーニングというのはないらしい、実践的な動きを繰り返す中で筋肉をつけているようだ、とミットフォードは伝えている。そして、とりあえず大食い(肉はめったに食べないけど)、と締めくくる。
欧米のスポーツの歴史には詳しくないけど、おそらく当時のイギリスでもレスリングやボクシングといった競技がわりと人気で、練習方法も合理性を求めるようになってきた時代だったのだと思う。その流れ、つまり身体やスポーツにおける近代化の流れに反するように見えるのにちゃんと強い力士たちは、不思議と言うしかない存在だったのだろう。

西洋人から見たら理解しがたい力士の強さの謎について、ミットフォードはその答えを神秘的な東洋の歴史に求めようとする。

 

4. 天皇と相撲

先に引用した導入部の後、ミットフォードはさっそく相撲の歴史を紀元前から語り始める。

The first historical record of wrestling occurs in the sixth year of the Emperor Suinin (24 B.C.)

垂仁天皇6年、紀元前24年までさかのぼったミットフォードは、ここでかの有名な野見宿禰を紹介している。野見宿禰って殉死の代わりに埴輪を用いることを提案した人だと言われてるのね、知らなかった。100年前の英国人に教えられる日本史。
その次に語られるのが858年の文徳天皇世継ぎ争い。文徳天皇(「もんとく」と読むらしいがミットフォードはBuntokuと書いている)の2人の息子がそれぞれ力士を連れてきて次の天皇の座を相撲で決めたというエピソード。
さらに天皇関係の話が続き、次は8世紀に聖武天皇が五穀豊穣を願って相撲を宮中行事に取り入れたという話。 清林という力士が天皇から行司に任命されたことも書かれている。次の段落では「花道」という言葉の由来や土俵の形の説明がなされ、最後にはやはり五穀豊穣の願いとの関連が述べられる。

ミットフォードは本の序文で「天皇の話があまり見つからなかった」と嘆いているのだけど、相撲の説明ではここぞとばかりに天皇関係の話を入れている。
そしてそうすることによって、近代的なスポーツとは全く異なる、儀式としての相撲の由来を強く押し出しているのだ。

後半に入って江戸時代の勧進相撲の話をしたかと思えば、またすぐに神話の話をし始める。

Before beginning their tussle, the wrestlers work up their strength by stamping their feet and slapping their huge thighs. This custom is derived from the following tale of the heroic or mythological age

 取組前の四股について、その由来は "mythological age" 、つまり神話の時代にあると述べたミットフォードは、この引用に続いてアマテラスの岩戸隠れの物語を紹介している。これは神様たちの物語であって実話ではないことを明示しながらも、この話に続けて当時のあらゆる階級の人々から愛される力士を描くことで、ミットフォードはそういった神にまつわる歴史が力士たちを特別でありがたい存在にしていることを暗示している。

 

 「文明人」であるミットフォードは、「力士たちが強いのは神の力だ」なんて非科学的なことはをはっきりと言ったりはしない。でも、天皇や神々と密接にかかわる相撲の歴史を長々書いて、その前後で「スポーツとはなんか違うんだよね」と言ってるのだから、その「なんか」が相撲の神事的性格にあると言っているも同然である。
もちろん相撲は神事としてのルーツを持っているし、それが今現在、相撲が国技とされていることにも影響しているとは思う。しかし、神事と国技の狭間にあった江戸末期・明治初期の娯楽性の強い相撲を観ながら、スポーツでも芸能でもないものとしての相撲に注目したミットフォード独自の視点は興味深い。

何も証拠はないけれど、明治時代の人々が欧米の視線を過剰なまでに気にしていたことを考えれば、このミットフォードの相撲の記述が、後々相撲が国技として定着していく過程に影響した可能性も十分にあるのではないだろうか。

 

あれー、なんかめっちゃ長くなっちゃった。次書くときはもうちょっと短めにおさめる努力をします。