煉獄日記

目指せ天国。

沖縄から「さよーならまたいつか!」

日本時間で今日は6月23日。慰霊の日だ。

アメリカと日本の軍人に多数の犠牲者が出ただけでなく、沖縄県民の4人に1人が亡くなったと言われる沖縄戦。そのような苛烈な戦いを記憶し、犠牲となった人たちへの祈りをささげ平和を願う日として慰霊の日は制定された。

慰霊の日は沖縄県の人々にとって一年でもっとも重要な日のうちのひとつだが、その存在は沖縄県外ではあまり知られていない。恥ずかしながら、私も沖縄出身の夫と結婚するまで「慰霊の日」という言葉を聞いたことがあるくらいで、それが何月何日で何を記念し何をする日なのかはよく知らなかった。

 

きっと今日も平和祈念公園で行われる戦没者追悼式には人々が集まり、戦没者の名が書かれた平和の礎を前に祈りを捧げ、沖縄のニュースではその様子が流れるだろう。

そしてその一方で、沖縄を「日本のハワイ」のような美しい旅行先として思い描く本土の人々は、今日も6月22日や6月24日と変わらぬ一日を過ごすだろう。

 

これまで慰霊の日に沖縄にいたこともない私にはこれ以上詳しいことは語れないし、語る資格もないと感じる。でも、そのような沖縄の歴史に関連して、米津玄師「さよーならまたいつか!」のMVについて最近考えていたことを書いておきたい。



「さよーならまたいつか!」はNHKの朝ドラ『虎に翼』の主題歌として、もしかすると日本国民がこの数か月で一番頻繁に耳にしている曲かもしれない。私もどうにか観る手段を確保して毎日ハワイから『虎に翼』の放送を楽しみにしている。

フェミニスト的なメッセージをはっきりと打ち出す『虎に翼』がドラマとして素晴らしいことはもちろんだが、オープニングで流れる「さよーならまたいつか!」とそのアニメーションはドラマのテーマを見事に表現している。

 

TBSドラマ『アンナチュラル』の主題歌「Lemon」や、映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」などを手がけてきた米津玄師の歌は、どちらかというとダークな印象というか、暗い心のうちをじっと見つめるような歌が多い。

それに比べると「さよーならまたいつか!」は曲調も明るく、歌詞も苦しい現実の中に未来への希望を見るような内容になっており、その歌い方もとても軽やかな印象を与える。米津自身もインタビューで「良くも悪くもさらっと流れていくようなもの(中略)毎日食えるものというか、軽やかなものを作るべきだろう」という思いがあったと述べている。



この曲の何が沖縄やその歴史と関連するというのか?その答えはこの曲のミュージックビデオ(以下MV)にある。

「『虎に翼』の曲」というイメージが強くあまり話題に上がることもないが、「さよーならまたいつか!」のMVは沖縄県にあるA&W牧港店で撮影されている。

1番のサビの部分で米津がピースサインをするとき、そのバックには「SINCE1969 MAKIMINATO」というネオンの文字が光る大きな看板が映る。そこには第二次大戦中のプロパガンダを思わせるタッチで、いかにもアメリカ人ウェイトレスといった雰囲気の女性が描かれている。

 

日本におけるA&W2号店である牧港店は、まだ沖縄が米軍占領下にあった1968年に開店。(看板には1969と書かれているが、A&Wの公式ウェブサイトには1968と書かれていてその理由やどちらが正しいのかは不明。)

「牧港」という地名を聞けば、沖縄について学んだことがある人なら「牧港補給地区」を思い出すかもしれない。キャンプ・キンザ―とも呼ばれる牧港補給地区からA&W牧港店までは車で10分ほどの距離。ちなみにA&Wの沖縄1号店に屋宜原が選ばれたのも、嘉手納基地からの近さが理由のひとつだったようだ。車の中で食べるという独特なドライブスルー方式も、1960年代の沖縄におけるアメリカ人社会で車文化が広まっていたからだそう。

ファストフード文化の先駆けとして今でも「エンダー」と呼ばれ沖縄県民に愛されているA&Wだが、その歴史は1972年まで続いた米軍による沖縄占領、現在でも続く基地問題と切り離すことができない。



先に挙げた「SINCE1969 MAKIMINATO」の大きな看板が1番のサビという曲の重要な部分で正面から撮られていることからもわかるように、このMVの中でA&Wアメリカ的空間の象徴となっている。

ファストフード店ならばよくあることかもしれないが、店内の様子が映されてもそこに「日本らしさ」や「沖縄らしさ」と呼べるものは見当たらない。店舗の外側を見ても、そこにあるのは「BURGERS」「FRIES」「FLOATS」といった英語で書かれた商品名ばかり。

さらに、2番の冒頭ではA&Wの楕円形の看板の下に「ALL AMERICAN FOOD DRIVE IN」の文字が赤いネオンで光っている。ただでさえ目立つこの文字は、「AMERICAN FOOD DRIVE IN」の部分がたびたび点灯することでさらに目を引く。

もちろんこれは意図的に作られたセットではないとはいえ、メニューや案内板等に書かれていてもおかしくない日本語はこのMVの中で読めないほど小さくなっているかピントが合っていないかのどちらかだ。

そもそも、このA&W牧港店を舞台に用いるという選択自体が、「アメリカ的空間」をそこに創り出す行為であり、そこで「沖縄」の影はかぎりなく薄い。



では、そのアメリカ化された空間で何が起こっているのか。

 

曲の始まり、米津はバスルームの中で大きく割れた鏡を覗き込んでいる。当然ながら鏡に映る彼の顔にも複数のヒビが入っている。

逆再生によって米津がバスルームから店内へと出てくると、そこでは暴動が発生している。黒づくめの客たちがバッドや椅子を振り回し、窓ガラスを割って侵入し、床にゴミやらガラス片やらを散乱させている。

しかしよく見ると、窓ガラスから少し離れた席には椅子に座ったままその様子を眺めている客のグループがおり、入口近くには「もっとやれ」と言わんばかりに楽し気に両腕を挙げている二人組がいる。店内を破壊する彼らの行動は、まるで盛り上がりすぎたパーティーの成れの果てのようだ。

沖縄で「暴動」といえばコザ暴動などが思い浮かぶが、それらは米軍支配の横暴に耐えかねた沖縄県民による命がけのプロテストだった。しかしこのMVの中にあるのは、それとは全く異なる見世物のような破壊行為だ。

 

さらに逆再生が繰り返され米津が店の外に出ていくと、窓から見える店内にはすでに人の姿が消えており、窓の外には野次馬が集まっている。

背後に映るパトカーから野次馬の前に立つ数名の男性は警察官だと推測できるが、彼らはまるで音楽に合わせて手を振っているかのようにただゆらゆらと左右に揺れている。この場面で警察官たちは、市民を守るでも犯罪者を捕えるでもなく、「アメリカ的空間」の内部で起きた暴力を一般市民から隠し、彼らをその空間から遠ざける境界線の役割を担っているにすぎない。

 

A&Wという沖縄のアメリカ化を象徴するような空間で、人々はうっぷんを晴らすように好き勝手に暴れ、本来であれば治安を維持するために働くはずの警察官はその空間を市民から隠そうとする。

この関係はまるで戦後から現在まで続く沖縄と日本政府の関係のようだ。米軍基地の存在によって引き起こされる沖縄内部での問題は、警察に象徴される日本の公権力によって本土の人々から遠ざけられ忘れ去られ、「青い海・青い空」といった形で安全に切り取られた一部分だけが提示される。



曲が2番に入ると、暴徒と思しき人々は去っていき、店内の秩序は回復される。米津が2回目に入口から店内に入ってくるときには客の賑わいさえ見られる。

しかしその一方で、外に出ればA&Wの敷地外で次々とあがる細い火柱が見える。まるでA&Wの店内にあった暴力が外部の空に移し替えられたかのような不穏さがそこには漂う。

暴力の痕跡がすべて消えたわけではないと示すように、「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」と歌う米津が覗き込む鏡の中には、まだいくつかひび割れが残っている。「地獄の先」に見えるはずの「春」は、まだ不完全な形でしかそこに存在しない。



では、この「アメリカ的空間」であるA&Wの店舗の内外を回遊するように動き回り、割れた鏡を覗き込む米津自身は何者なのだろうか。

私は彼が「沖縄」そのものを表現しているのではないかと考える。「アメリカ的空間」の内部であり外部であり、ひび割れた自己しか見ることができない現在の沖縄。それがこのMVにおける米津玄師自身ではないだろうか。



1番のサビの部分で彼は、野次馬、警官たち、そして割れた窓ガラスに背を向けてカメラを正面から見据える。画面の上半分は先ほど説明した「SINCE1969 MAKIMINATO」の看板が占めており、視覚的にも「アメリカ」が上から覆いかぶさっているような構図の中で、米津は「瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」と歌う。空を占める「アメリカ」を挑発し、その先へ行けと彼は歌っているのだ。

さらに「100年先も覚えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか」と米津が見せるピースサインは、今は失われてしまった平和な空を思い出せと100年前の世界から訴えかけるかのようだ。

 

ラストの大サビで再び外に出た米津が「今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」と指さす空にも、依然として炎が幾筋もたちのぼっている。

A&Wの敷地内だけを見れば平和が戻ったかのような場面でも、「羽を広げ」飛び立とうと思えば、その空にはまだまだ危険が満ちている。それでもなお彼は「どこまでもゆけ」と力強く空を指さす。

 

そして「生まれた日からわたしでいたんだ」と最後に米津が再び鏡を覗き込むとき、その鏡からはすっかりヒビが消えている。その傷のない姿こそ、現代を生きる私たちが目にすることのできない、彼が「知らなかっただろ」と我々に問いかける沖縄の姿だ。その姿を取り戻すため、「どこまでもゆけ」と彼は我々に訴える。

ヒビのない鏡に向けて米津は「さよーならまたいつか!」とウインクし、その「またいつか」が来る時まで我々に一時の別れを告げるようにしてこのMVは終わる。




『虎に翼』は1930年代から物語が始まり、ほぼ「100年先」の現代からその過去を振り返るよう視聴者を促す作品となっている。その100年の間に、女性は弁護士になり、議員になり、裁判官になり、少しずつその権利を拡大し、より良い社会を実現してきた。一方で、寅子が直面する数々の「はて?」は、100年前と現代の女性差別が地続きであることも強調する。

 

その主題歌のMVが沖縄を舞台として作られたこと、そこで暴力とその部分的な隠ぺいが描かれたことは、私たちに何を伝えているのだろうか。

 

店の内部で暴力が蔓延する1番、店の敷地の外で空に炎が満ちる2番という二段階の変化に、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる戦後沖縄の土地支配と、本土復帰の後に騒音や墜落事故によって空から沖縄を危険にさらし続ける米軍基地問題という大きな歴史の流れを私たちはこのMVから読み取ることができる。

しかし、逆再生を頻繁に用いるこのMVの構成は、その時系列を意図的に混乱させる。地上での暴力と空からの暴力、沖縄の土地や人に対する直接的暴力と、沖縄に置かれた基地が支えるアメリカの世界における軍事行動。それらは前者から後者へと直線的に移行するようなものではなく、このMVの時系列のように、前後し、繰り返され、はっきりとした始まりも終わりも見えないまま現在まで引き延ばされている。

『虎に翼』で描かれる女性差別の問題と同様に、沖縄に対する差別や暴力も戦前から現代にいたるまで形を変えながら繰り返されているのだ。

加害者はアメリカだけではない。「アメリカ的空間」とされてしまった沖縄を人々の目から隠そうとする日本政府も、安全な場所から「野次馬」として覗き込んでいるだけの本土の人々も、その構造の一端を担っていることを忘れてはならない。

 

「さよーならまたいつか!」のMVが、沖縄におけるアメリカ軍の存在を象徴するようなA&W牧港店で撮られたことはただの偶然かもしれない。

たとえそうだとしても、この映像が描くものを考えることによって、「またいつか」取り戻すべき沖縄の姿を想像しながら、沖縄戦の犠牲者に祈りを捧げる慰霊の日を過ごせればと思う。