煉獄日記

目指せ天国。

Xになったよ

今年の初めにスマホiPhone SEからPixel 7に買い換えた。
初めて使うAndroidスマホは、私が不慣れなだけかもしれないけれど、いまだに手に馴染まない。かゆいところには手が届かないし、不便とまでは言わないけれど便利とも言い難い。

そのもどかしさに拍車をかけるように次々とやってくるアプリのアクセス問題。機種変更をしたならSMS認証をせよ、SMS認証のためには日本の電話番号が必要です、うんぬんかんぬん。めんどくさい。

 

で、そんなこんなでとにかく身分証を更新しなければならなくなった。
私はマリオカート以外の車は運転しないと決めているので免許も持っていないし、パスポートは身分証としては意外と役立たず。そういう場合アメリカではState IDというものが必要になる。すでにState ID自体は持っているんだけど、今の家に引っ越す前に作ったものだったので住所変更の手続きが必要。アプリケーションを書いて、オフィスに持って行って、そこで書類確認と写真撮影をして、カードは後ほど郵送。
写真撮影まで終わらせた後には紙のカードが当面の身分証として発行される。名前、生年月日、有効期限、身長、体重、目の色、性別、住所など個人情報がみっちり詰まったペラペラのカード。クジラのTシャツにピンクの髪の毛でこの日写真撮影をしてしまったことは、ほんのちょっと後悔している。

そのペラペラの仮カードを見ていたら、Genderの欄が "X" になっていた。
なっていたというか、もちろん私がそれで申請したんだけど。

前回初めてState IDを作った時もアプリケーションでGenderの欄は "NOT SPECIFIED" を選んだ。 "MALE" と "FEMALE" の下にある、 "NOT SPECIFIED"。でも書類を受理される過程で気がついたらGenderはFEMALEとなっており、出来上がったカードのGender欄にはFの文字。「ふぅん」と思ったけれど、そうは言ってもパスポートの性別欄だってFemaleだし、まあ仕方ないのかなとそのままにしておいた。

もう何年前からだろう。性別欄に三番目の選択肢があればそれを選び、男か女かの二択であれば不要な時はうっかりさんのふりをして空欄のまま提出する、そういう選択をするようになったのは。いや、たとえ三番目の選択肢があったとしても必要がなければ空欄にしてたか。明確な理由があるわけでもなく、でもそれが「なんとなく正しい」気がしてそうしてきた。

 

アメリカで暮らしている今の生活においてはパスポートよりも身近で強力な身分証であるState IDが、私のジェンダーは「X」だと言っている。ふぅん。
感動するわけでもなく、ものすごく嬉しいというわけでもなく、最初のカードに "Gender: F" と見た時と同じくらいに「ふぅん」ってなっただけだった。ちょっと拍子抜けしたような、予想通りのような、まあとりあえずしばらくこれで生きてみるか、みたいな感じ。

 

アメリカの博士課程での5年目が終わった。5年目の終わりにようやく二つ目の大きな試験を乗り越えてABDというやつになった。All but dissertation。博士論文を書き始めていいよ、という博士課程の最終段階。

本一冊分くらいの長さとそれなりのクオリティが求められる博士論文を書くのにこれからどれくらい時間がかかるのかはまだわからないけれど、できれば2年、遅くとも3年以内には書き終えたいと思っている。2014年に日本で修士課程に入ってからもう10年、ようやく就職する未来が見えてきた。

就職ということはその前に就職活動があるわけで。就職活動ということは普段の半ズボンにアロハシャツみたいな格好ではさすがに良くないだろうから、もう少しちゃんとした格好をしなければならない。2年前に買ったメンズスーツはそれからだいぶ体重が増えてしまったせいでもはや着られないので、次の一時帰国で新しいスーツを買おうかと考えている。せっかくの大事な機会だし、オーダーメイドのスーツを作っちゃおうかな、なんて。

女性的な体型でもフィットするメンズスーツを売りにしている会社はいくつか知っていて、そのうちのどこかで作ろうかと思っている。それなりに値もはるけれど、まあ今回はそれくらいの贅沢をするのも必要経費のうちということにしたい。

 

以前恋人から「何か身体を変えたいとかそういうことは思わないの?」と聞かれたことがある。「その選択肢はないな」と即答した。
胸のところにくっついている「おっぱい」と呼ばれるものがちょっと邪魔だなと思うことはあるし、どう頑張っても腰骨から下に丸みを帯びていくヒップも好きじゃないが、それ以上にとにかく痛みという痛みをできるだけ避けて生きていきたいという思いがべらぼうに強い。とにかく弱っちくてやる気のないこの身体のせいでいっつも不調や痛みがついてまわる人生を送っているのだ、これ以上のリスクはできる限り避けたい。

だからちょっといいスーツをオーダーメイドで作って、「まあこれでいいか」の気持ちを少しずつ大きくしながら生きる方を私は選ぶ。

これからもpronounを聞かれれば、苦笑いしながら「sheでいいし、他のがよければ何でもいいよ」と適切な間よりも0.3秒くらい遅れて答えていくだろう。投げやりな気持ちでもなく、無関心というわけでもなく、「まあなんでもいいよ」と心から思う。まあなんでもいいよ、私の性別がよくわからなくても、私は特に困らないからね、と。

 

あと1ヶ月と少しで35歳になる。その数字を思わずまじまじと見てしまうくらいには実感が湧かない。それでも約35年分のいろいろを積み重ねて、今ここにXのABDとして存在している私がいる。
自分の下の名前も好きじゃないが、ここまで生きてきた間にこの名前で呼んでくれた人たちの声がある。そして、自分の(この「女性的な」と形容するしかない)体型だって好きではないが、(多くの場合それが女性的であるということを必要条件として)私をその身体を含め恋愛対象として、あるいはもっと単純に性的対象として見てくれた人がいる。
そうやって35年の間に様々な形で他者から受け止められてきた経験が、今の私にとっては一番大切。それは、私が私自身をどう思っているかよりも、ずっとずっと「私」の輪郭を形作っているもの。なんだかよくわからないXの身分証と一緒に、これからも私は「私」を決定する権利を放棄しながら生きていく。

とりあえず、早くABDじゃなくてPhDになりたいな。だって、Mr. とか Ms. とか Mx. とか色々あるけど、博士になれば Dr. が使えるからね。性別より学位が優先されるその歪さが、今の私が一番欲しいもの。どうせならPhDを持ってる人だけが使えるpronounもあればいいのに。Sheでもtheyでもなくて、deeみたいなドクター専用代名詞。

 

この夏は1ヶ月半ほど日本に滞在する。北海道に3週間、沖縄に1週間、東京に3週間。北に南に慌ただしい。
少しだけ終わりの見えてきたハワイ生活とそれから先のまだ何一つ決まっていない将来を考えたり忘れたりしながら、この夏は図書館の古い資料に埋もれて100年前の人たちを思っている予定です。