煉獄日記

目指せ天国。

鬼を滅してスマイルして

年末に『鬼滅の刃』を一気読みした。3日ぐらいで。
その少し前に友達から「鬼滅読んだ?」と訊かれて、感想を話したいから読んでくれということで。流行り物はとりあえず手を出してみるタイプ。というわけで読んだ。

まー、うん、なんだろうね。
正直作品それ自体については「最高傑作とは言えないね」という程度にしか思わない。これは友人も言ってたことだけど、確かに人物造形が浅いし、物語もよく言えばテンポが良い(良すぎる)、ストレートな言い方をすればすべてのエピソードがざっくりしててスカスカ。まあ、でもね、これは別にいいのよ。こういうゆるい構成だからこそファンが遊ぶ隙間ができたりもするんだろうし。

でもこれがこんなに流行ってるということには結構ひいた。「こんなに」ってニュースとかネットで見てるだけだから実際にどれほどなのかはよく知らないけど。

その一番の理由が炭治郎のキャラクターが「いい子過ぎる」こと。彼は少年漫画の主人公には珍しく、物語の中でまったく成長しない。もちろん戦闘の技術とかは上がるし、その結果強い敵に立ち向かえるようになったりもする。でもその一方で、人間的成長だったり、若さ/幼さゆえの葛藤みたいなものは全然ない。行動の基準も「家族(主に妹)のため」または「復讐」しかなくて、どっちも人の為であり「我を通す」みたいな瞬間は私が覚えている限り一度もなかったように思う。つまり炭治郎は最初から最後まで「人のため」だけに行動する優しさと正義感の塊みたいな少年として描かれている。

しかも、鬼殺隊のメンバーは上司にあたるお館様から「我が子」のように見られていることを示唆する表現がたくさんあったり、そもそもあの子たちはほとんどが本当にまだ「子ども」と呼んで差し支えない十代の少年少女。っていうかそのお館様という上司の役割すら最終的には代がわりして幼い少年が担うことになってしまう。そしてその全員が、自分が強くなりたいとか勝ちたいとか悔しいとかいう感情をほとんど見せないまま(たとえ見せてもやっぱり「人のため」という形で)、自分の大切な人のために命を投げうっていく。そこに恐怖心はあったとしても、「なんで私がこんなことせにゃならんの」みたいな身勝手さは皆無。なんかもう、完全に神風特攻隊を思わせる何かだった。

つまり何が言いたいかというと、「純粋で優しい天使のような子ども」みたいなイメージがあまりにもナイーブに描かれすぎちゃいないか、ってこと。だって子どもってさ、わがままなもんじゃん。家族のため、とか、復讐のため、とか普通どっかで忘れちゃうし、そんなこと忘れて自分の、誰のためでもない自分だけの好きなことや楽しいことをしちゃうものじゃない。だからこそ周りには大人がいて、危ないところに踏み込みそうになったらストップかけてあげる、それが大人の仕事じゃん。子どもなんて1日一緒に過ごすだけでも100回は「にくたらしいわぁ」って思う瞬間が発生する生き物だし、そういうのをひっくるめて、むしろひっくるめるからこそめっちゃかわいい。もちろん、「子ども」のそういう乱暴で身勝手なところが嫌いな人もいるだろうし、でもそれはそれでいいんじゃないかと私は思ってる。子どもは、面倒くさくてにくたらしくて、それをかわいいと思う大人もいれば、嫌がる大人もいる。なんていうか、感情に野性味があるのが子どものいいところだと私は思うんですよね。

だから、この作品が大ヒットするって、やっぱりちょっと異常な感じがしてならない。小中学生くらいがはまるのはまあいいとして、いやそれはそれで「君たち素直ね……」とちょっとびっくりなんだけど、でも興行収入とかが高いってことは大人たちもこの作品をある程度評価して好んで消費してるってことでしょう?いい大人が炭治郎みたいなツルツルピカピカの優等生見てなに喜んでるの?そんなに子どもたちが自分の思い通りになってほしいの?
それはやっぱ、ちょっと違うんじゃないかなあ。

 

そんな事を考えたり最初に読んでと言ってきた友人と話したりしてたお正月、こっちのテレビで日本ではクリスマスにやってたMステのスペシャルを見た。

で、そこでまた、「うーん???」となる。

森七菜という女優さん(なの?)はそこで初めて知ったんだけど、あまりにも何の感情も無い人形みたいな歌い方をしていて、結構ぎょっとした。「スマイル」という曲自体も、オリジナルが96年だから仕方ないのかもしれないし、そもそも私はオリジナルに関する文脈を全然知らないので的外れかもしれないけど、「深刻ぶった女はキレイじゃないから」という歌詞には辟易する。っていうか、それを彼女のような若い女の子に歌わせようって企画したり、その歌や映像を喜んで消費している大人がたくさんいるということにもため息が出る。

それでもまだ、もしも彼女が楽しそうに歌っているなら、歌が好きだという雰囲気で歌っているなら、まあいい。でも見るからにつまらなさそうなんだもん。「こういう感情を表現するには、こういう表情をすればいいんでしょう」と言わんばかりの、演技であることを隠そうとすらしない、なんというか、無感情な表情。もちろんかわいいはかわいいんだけど、あれはちょっと観てて心配になってしまうというか、正直なんかこわいなって思ってしまった。

でも2~3年前に当時小学校高学年だった生徒がプリクラを見せてくれて、なんでも最近は無表情で映るのが流行りだと教えてくれた。もちろん小学生の流行だからもう数年で様変わりしているのかもしれないけど。でもインスタとかを見てると、ポーズとかは変わっても、やっぱりみんな感情が見えない顔をしている気もするし、どうなんだろう。わからん。つまり、森七菜的な「型」としての感情表現みたいなものが単に流行っているだけなのかもしれないとも思うけど、うーん、いまいち未知の世界。

人形みたいと言っても、たとえばフランス・ギャルなんかはお人形感たっぷりでも、それはまだ表情や感情がほぐれてないだけ、という感じだった。表情やポーズの見せ方だってその時代時代に流行があって、90年代の歌手とか見ても笑ってないどころかカメラを睨みつけてるような人もたくさんいるけど、でもそこにはかっこつけようとする意志だったり大人や社会への反抗心だったりがにじみ出てた。だから、本当に全部の感情がからっぽみたいなのは、なんだか慣れない。実は広瀬すずが出てきた辺りから似たようなことを感じてたけど、今回の森七菜の「スマイル」はその数段上のうすら怖い雰囲気があったわ。

 

いやもうジェネレーションギャップだよって言われたらそれまでなのは本当にそうなんですけど、それでもねー、なんかねー、もやぁっとした気持ちが広がってしまう。
もっとシンプルに自己中心的で欲望に忠実な、そういう子どもや若者が社会から排除されないといいなと思うし、子どもたちにはもっと思う存分わがまま言って子ども時代を過ごしてほしい。私自身が親の顔色ばっかりうかがって、それこそ炭治郎並の真面目な良い子をやってきたタイプだからこそ、それはやっぱ不健全だなって思うし。

子どもたちはみんな自分の思うがままに海賊王を目指したり盗んだバイクで走りだしたりしてればいいさ。もちろんそれを見たら私はめちゃくちゃ叱ると思いますが。