煉獄日記

目指せ天国。

欧米人の見た相撲①ペリー

朝乃山大関昇進おめでとう!とてもめでたい。新入幕のころから「いいなぁ」と思っていた力士が大関に昇進するなんて、こんなにめでたいことはない。
めでたいついでに、そして相撲ロスを癒すついでに、さらには無観客相撲を乗り切った相撲協会への称賛の気持ちを込めて、相撲について何かを書いてみようと思う。

自分の研究分野との関係もあり、欧米人の見た日本とそれにてんやわんやで対応した明治の日本人に興味があるので、その文脈で「幕末・明治時代に相撲を観た欧米人の声」について調べてみた。せっかく英語の資料にアクセスしやすい環境にいるので、それを趣味にも使ってやろうということです。

思ったよりも資料は多く、一方で "Stay at Home Order" が出ている状況下ではアクセスできない資料もかなりあった。そこでまずは、相撲を観た欧米人の声として比較的知名度の高いペリー来航時の関連資料についてまとめてみたい。

今回使う資料は3つ。どの資料もオンラインアクセス可だ。

Narrative of the Expedition of an American Squandron to the China Seas and Japan. By Matthew C. Perry. (1856年/安政3年):相撲の記述は369-372頁。翻訳はこちら
Matthew Calbraith Perry. By William Elliot Griffis. (1887年/明治20年):相撲の記述は "Ch. 33 The Professor and the Sailor Make a Treaty" にある。翻訳は見つからず。
A Journal of the Perry Expedition to Japan (1853-1854). By S. Wells Williams. (1910年/明治43年):相撲の記述は147-148頁。翻訳はこちら

一番上の作者Perryは、皆さんご存知、浦賀にやってきたあのペリーだ。三番目のWilliamsはペリーの通訳として一緒にやってきた学者。しかし学者といっても日本を訪れるのはおそらく1853年の所謂「黒船来航」時が初めて。そしてペリーと一緒に1854年の再来航時に相撲を観ている。真ん中のGriffisは、The Mikado's Empireなどの日本紹介本を多く書いたお雇い外国人だが、上にあげたペリーの伝記は彼があとから資料を通じて研究し書いたものだ。なので彼が実際の相撲を観たことがあるかはわからない。
ちなみにペリーの本には当時の相撲を描いた挿絵も載っているので(371頁の左側)、見てみると面白いかもしれない。私はこういう絵を見るの大好き。

さすがにそれらを全部読んでいる暇も気力もないので、テクストに検索をかけて調べた。OCR万歳。しかし、「sumo」で検索しても当時の文献からはほとんど何も見つからない。今でも英語で相撲は「sumo wrestling」と呼ばれることもあるが、それに従って「wrestl(ing/er)」で検索をしたところ、それぞれの文書でヒットがあった。その中でも一番まとまって相撲について書かれているところを紹介していく。

 

1-1.ペリーの見た力士

ペリーの描く力士は、いろんな意味で「人間離れ」している。最初に力士を見た時も "a body of monstrous fellows" と言っているし、その後も "monstrous" や "monster" という単語が頻出する。「怪物」というグロテスクさは、力士の身体の描写においてさらに際立つ。

They were all so immense in flesh that they appeared to have lost their distinctive features, and seemed to be only twenty-five masses of fat. Their eyes were barely visible through a long perspectives of socket, the prominence of their noses was lost in the puffiness of their bloated cheeks, and their heads were almost set directly on their bodies, with merely folds of flesh where the neck and chin are usually found. (370)

力士というのはまるで大きな脂肪の塊だ。彼らは太りすぎのせいで目も鼻もあるのかないのかわからないし、首も顎もなくなっている。こんな風に、ペリーは力士のことを一種の「怪物」として描いている。
さらに、「人間」ではなくなるという点では、動物への喩えも多い。象、雄牛(ox, bull)と具体的な動物に喩えることもあれば、ただ "huge animals" や "brute beast" と言うこともある。どれも差別的といえばそうなのだが、特に "beast" という単語は「人間以下」というニュアンスが強い。
つまりペリーの見た相撲(というか力士)は、彼の言葉を文字通りに受け取るならば、怪物的で動物的、野蛮で暴力的な、ある意味「人間離れ」していると同時に「人間以下」の生物だったということになる。

 

1-2.日米の対比:未開と文明

しかしこのように日本の力士、ひいてはその文化を「見下す」ことは、当時の西欧社会のイデオロギーとも、彼らの来航の目的とも一致していた。なんたって、数年後に訪れる「文明開化」の大混乱の最初のきっかけを作った人たちだ。彼らの大義名分は、野蛮な日本を文明化させることである。
そのため相撲を観終わったペリーは、日本の未開性とアメリカとの文明とをはっきりと対比させている。

It was a happy contrast, which a higher civilization presented, to the disgusting display on the part of the Japanese officials. In place of a show of brute animal force, there was a triumphant revelation, to a partially enlightened people, of the success of science and enterprise. (372)

 日本の役人が見せてきたひどく不快なものと比べて、我々の文明はなんてすばらしいのか。こんな野蛮なものの代わりにアメリカの進んだ文明を見せてやる。と、まあそんな感じのことを言っている。ここで "disgusting display," "show of brute animal force" と言われているのが相撲のことだ。そしてそれに対比されているのが、西洋式の "science" と "enterprise"。具体的にはここでは蒸気機関車、他にも電信などのことを指すらしい。
そもそもこの相撲は、アメリカがくれた種々の贈り物への返礼として開かれたもので、そこには江戸幕府の役人たちの「力士を見せてメリケン人をびっくりさせてやろう」という魂胆があった。残念ながらその魂胆はペリーにばっちり見抜かれ、その役人たちの自慢げな顔はこの本の中で揶揄されているし、だからこそ相撲鑑賞の締めには以上のような手厳しい言葉を書かれたのだろう。開国させる気しかないね、この人たち。

 

1-3.ペリーを惹きつけたもの

力士を「人間以下」扱いし、相撲を不快で野蛮だと言ってはばからないペリーだが、面白いのは、彼の相撲描写がなかなかいい、ということだ。もちろん差別的な文言にはあふれかえっているけれど、それでも相撲独特の緊張感とか高揚感が、意外とちゃんと書かれている。特に私が好きだったのが、仕切りの描写だ。

As the spectator looked on these over-fed monsters, whose animal natures had been so carefully and successfully developed, and as he watched them, glaring with brutal ferocity at each other, ready to exhibit the cruel instincts of a savage nature, it was easy for him to lose all sense of their being human creatures, and to persuade himself that he was beholding a couple of brute beasts thirsting for one another's blood. (371)

 

観客が太りすぎの怪物たちを見ていた。その怪物たちの野性味は、とても念入りに、そして巧みに高められていた。そして彼[ペリー]が見たときには、力士たちは獣のような獰猛さで互いをにらみ合い、野蛮な本能の残酷な性質をまさに表に出そうとしていた。彼はたやすく彼ら[力士たち]の人間性を忘れ去り、今から見るのは互いの血に飢えた獰猛な野獣たちなのだと自身を納得させることができた。(拙訳)

拙訳が拙すぎて恥ずかしいですが、とにかくこれがペリーの描いた仕切りの様子です。確かに相変わらず "animal natures" とか "brute beasts" とか言いまくりではあるが、でもこの、力士が仕切り中に「人間離れ」したように見える感覚は、現代の相撲観戦中にも起こる事ではないだろうか。人間離れとまではいかなくても、力士たちのあの雰囲気は、常人に出せるものではない。仕切りから立ち合いにかけてのあの異様な緊張感と高揚感は、相撲の魅力のひとつといって間違いないだろう。
ペリーは「野蛮な日本人」というイデオロギーから抜け出せなかったのかもしれないが、意外としっかり相撲を観て、その魅力に惹かれている部分もあったのではないかと思う。だからこそ、ネガティブな言葉しか選べないなりに、「人間離れ」していく仕切りから取組にかけての力士を活き活きと描くことができたのではないか。褒めるにしても貶すにしても、ただ「エキゾチック」や「オリエンタル」といった言葉で済ませてしまうのは簡単だ。しかしペリーは、相撲という「蛮行」を見下しながらも、その様子を数ページにわたって書いている。そして仕切りの独特な緊張感に気づいている。ここから私は、ペリーが幕末の日本で相撲を観て、それを野蛮だと思いながらも、何かそこから「常ならぬもの」、グロテスクでありながらもどこか魅力的なものを感じ取っていたのではないかと信じてみたい。


まだペリーの話しか書いてないのに、長くなりすぎた。これ以上長いものを一度に書くのも人に読ませるのも嫌なので、今日はここまで。資料はまだまだあるので、これからも定期的に「欧米人の見た相撲」について書いていこうと思います。
ちなみに相撲の研究とか専門外も甚だしいというか本当にただの趣味なので、もし「それ間違ってるよ」という内容がありましたら是非教えてください。

※追記:ペリーが相撲を観た年が間違ってました。黒船来航の1853年じゃなくて、日米和親条約締結の1854年です。