煉獄日記

目指せ天国。

ドロップアウト

男性の生きづらさについて書かれた記事が目に入った。男性は生まれた瞬間から社会的名声を手に入れるためのレースに強制参加させられている、という話だった。

https://cakes.mu/posts/29163

言いたいことはわかる。というか、普通にわかる。だって、私も小さいころからこのレースに全力で参加してきたから。「男に負けちゃいけない」「自立しなさい」、そういう言葉を絶えずかけられ、「成果出そうレース」に参加して「名誉男性」になることを(主に母親から)猛プッシュされてきた。

 

そしてその親や世間やとにかく何かからの期待に私はしっかりと応えてきた。

感じの悪いことを言うけれど、私はいわゆる高学歴なのだと思う。中学・高校・大学とずっと、それなりに「名門校」と呼ばれるような学校に通ってきた。もちろん、小学生の時も高校生の時もかなり勉強した。一日10時間だとか当たり前の世界にいた。そして大学の先は大学院に進学し、さらに現在はアメリカの大学院で博士号の取得を目指して勉強している。もう完璧なほどの高学歴っぷりだ。

ここにたどり着くためには、当然努力もしてきたが、それと同じくらい無理をしながら人を蹴落としてきた自覚もある。つまり、上の記事で言われるような「レース」にどっぷりとつかっていたし、ついこの間までこのレースの延長のようにして研究職を目指していた部分もある。(研究職を目指している時点でレースから脱落しているように見えるかもしれないけど、それは私のコースが少し人とずれたところにあったというだけの話だろう。)

 

でも、数年前、そのレースから私は完全におりた。というか、おりるしかなかった。

博士課程に進学したころ、私は本が読めなくなった。たとえば、本をゆらゆらと揺らしながら読んでみてほしい。うん、読めないだろう。あの頃の私の脳みそは、そんな状態だった。いくら必死に文字を目で追おうとしても、頭がふわふわとしてきて、文字が視界から逃げていくようで、全く意味が頭に入ってこない。英語の本なんて論外だったし、それどころか日本語の研究書も小説さえも読めなかった。せっかく博士課程に入ったのにそんな調子で、あがいてもあがいても状況が好転せず、「やっぱり私なんかが研究職を目指すなんて無理だったのか」とあきらめようとした。

指導教授の説得によりいったんは退学を思いとどまった。その後心療内科にも通い始め、薬も飲み続けた。なのに、一向に良くならない。やっぱり本が全く読めない。

そんな状況が半年ほど続いたころだった。

「状況を大きく変えないと良くなりませんよ。まあ具体的には、大学院を辞めるのが一番ですね。」

無慈悲にも主治医はそう言い放った。

その瞬間は何も考えられなくて、ただ「はあ」とか「そうですか」などと呆けた返事をした気がする。診察室を後にして、薬局で薬をもらい、そのあとはオフィス街をとぼとぼと歩いた。でも家に帰りたくないような気がして、病院に付き添ってくれていた彼氏を連れてカラオケに入った。

 

カラオケに入ってもまだしばらくぼんやりした頭のまま、歌ったり黙ったりしていた。今思えば、薬のせいで頭がぼーっとしていた部分もあるのかもしれない。

でも突然、涙があふれてどうしようもなくなった。

研究を辞めたくない。研究者になりたい。学問の世界で生きていきたい。

それしか浮かんでこなかった。それまでは、男性たちが強制参加させられるというレースに「名誉男性」としてどうにかついていきたい、その世界から振り落とされたくない、そういう気持ちが研究者を目指す思いの半分くらいを占めていた。自覚はなかったけれど、やっぱりそうだったのだろう。

それがある種の命の危機に直面した状態で、「そんな事言っている場合じゃない」とようやく気づいた。

名誉とか、世間的評価とか、どうでもいい。もはや経済的安定すらどうでもいい。そんなものを気にし続けていたら、きっと本当に死んでしまう。実際あの頃の私は、地下鉄のホームに立つたびに「次の電車に飛び込めば、楽になるんだ」と割と本気で思っていた。どうにかこうにか思いとどまったが、本当に「どうにかこうにか」という感じだった。

 

私は、研究がしたかったのだ。名誉や世間的評価や経済的安定などのためではなく、自分のために、研究がしたかったのだ。いやそもそも文学研究なんて経済的安定という点ではすでに十分危うい選択なんだけど。

さいころから何度も何度も文学に救われ、文字通り生き延びるために文学を読んできた。それはある時には現実逃避であり、ある時には世界の価値を教えてくれる窓口でもあった。こんなに美しいもの、素晴らしいものがあるなら、この世界も捨てたもんじゃない。もう少しこの世界で生きてみよう。辛くて仕方がないときにいつだってそう思わせてくれたのが、文学だった。

だからこそ、私は研究者になりたいと思った。私には小説を書く力はないけれど、「こんな世界もあるんだよ」と文学を人に伝える仕事ならできるかもしれない。文学の研究をすることは、人生をかけての恩返しのようなものであり、私の生きる意味を再確認するライフワークでもあった。そういうことを、「大学院を辞めなさい」という主治医の言葉を聞いて、ようやく思い出した。

 

その後はとにかくすべてを投げうって治療に専念した。思えばそれまでは本気で病気を治そうともしていなかったのかもしれない。「治ったらまた研究に追われる生活か」と思うと、なんとなくそれが怖くて、いろんなことをなあなあにしている部分があった。

しかしその時に覚悟を決めた。バイトをほぼすべて辞め、実家を出て一人暮らしを始め、奨学金(という名の借金)を限界まで借りて、とにかく休んだ。本を読もうとするのも諦め、ただぶらぶらしたり、調子が悪ければ一日中ベッドにいることだって自分に許した。

すると、その生活を始めて三か月ほど経った頃、本屋さんで自然と興味のわいた小説を手に取っている自分がいた。恐る恐る読み始め、文字を目で追いながら、「読める!」と感動したのを今でもよく覚えている。あれは有島武郎の『或る女』だった。我ながらチョイスが謎である。良い小説だけどね、『或る女』。

その後はゆるやかに回復し、「できる」と思う事だけを少しずつ続け、さらに数か月後には短い文章を書けるまでになった。そしてさらに留学準備を始め、どうにかアメリカの大学院に合格し、今わたしはここにいる。

 

今現在の学生生活は、苦しいけどやっぱり楽しい。もちろん私が女性だからこそ、その「強制参加」のレースからドロップアウトしてもこんなに楽しく生きていられるのかもしれない。でも、本質はそこではないような気がする。

レースに参加する苦しさも、その一方でそこにある種の快楽が伴うことも、よく知っている。そこから落ちる恐怖だって知っているつもりだ。だって、私それで死にかけてるし。でも今は、そういうのがすべてどうでもよくなった。あのカラオケで号泣しながら、私はそのレースからおりる決意をした。人(からの評価)の為じゃなく、自分(の幸福)の為に生きる決意をしたのだ。

今でもごく稀にではあるが、「いつまで学生なの」とか「文学研究なんて」などと言ってくる人もいる。一年に一回出会うか出会わないかくらい、ごく稀に。でも気にしない。気にならない。心の底からどうでもいい。だって、私は今幸せだし、楽しいし、何より私が一番やるべきことをやっている自信があるから。結果として「留学」という成果を今は出しているように見えるかもしれないけど、それはレースに勝つためじゃない。単なる自分の幸福の追求だ。

 

とはいえ、毎週何百ページというリーディング課題を出され息切れ状態でいると、そんなことも忘れがちになるので、あの記事を見て大事なことが思い出せてよかったです。「ドロップアウトしても、意外と大丈夫だよ」と、「競争からの敗北」に怯えている男性(と、同じくらい多くの女性)に言ってあげたい。レースなんて放り出しちゃえ、自分の為に走る人生はなかなか楽しいぞ!