煉獄日記

目指せ天国。

12月10日日本入国手続きメモ

12月9日にホノルルから飛行機に乗り、12月10日に日本へ入国した。

ハワイ州でオミクロン株の感染者が見つかったのは今から一週間くらい前だっけ。とりあえず、少しずつ増えているオミクロン陣取りゲームのだいぶ最初の方にやられたアメリカの州のひとつだった。というわけで現在3日間の強制隔離2日目。

 

暇かと思いきや、普通にお昼寝が楽しいし忙しくて全然暇ではないのだけど、忘れないうちに帰国の手続き諸々について記録をしておこう。
ところどころに感想は差し挟むけど、とりあえずは基本的な事実を記録に沿って書いておきます。帰国前、「結局何がどうなってるの?」とわからないことも多くてとにかく情報が欲しいという状況だったので、どこかで誰かの助けになれば。

っていうか、友人から「人生で隔離されることってなかなか無いよね」と言われたように、なかなか無い経験だからとりあえず書いときましょう。

 

12月9日(ハワイ時間):出国

8:00 空港到着
さすがに空港は空いている。チェックインの時点では陰性証明書の提示のみ求められる。
セキュリティも通過してぼんやり飛行機を待っていたら、搭乗の1時間ちょっと前に税関に見せるか何かの紙を持ったスタッフの方に「日本へは、観光ですか?お帰りですか?」という難しい二択を聞かれる。「ここに住んでます!」と返事をしたら、何も渡されず。

10:45 搭乗→11:20 離陸
座席の埋まり具合はざっと見た感じだと1~2割ってところかしら。みんなひとりで2~5席くらい占領しながらゆったり飛行機旅。
ホノルルではシャツ+パーカーだったけど、着陸の少し前にシャツ+薄手のセーターに着換え、待機時間に寒かったらパーカーを追加できる体制に。

 

12月10日(日本時間):入国

15:39 着陸→15:50 飛行機降りる
当日国際線乗り継ぎ以外の人は立つな、荷物も取るなという指示がとりあえず出る。10分ほど待たされた後に飛行機を出て、ゲートのところに他の乗客たちと共に並ぶ。5分くらい待った後に動く歩道のところをずーっとずーっと一列になって歩いていく。

16:05 「健康カード」配布・記入
過去14日間の体調と滞在地域を聞かれる「健康カード」を配布され、記入。その他誓約書等を持っていない人もこの場でもらって記入。記入が終わったらスタッフを呼び、パスポートに陰性証明書・誓約書・健康カード・12条質問票を挟んで持っているように言われる。
座っていろと言われたり動けと言われたりなんだか落ち着かない。この時も、この後も、全体向け基本オペレーションはすべて日本語。米軍関係者以外は日本人のはずだから日本語わかるだろう、という想定なんだろうか。

16:20 受付(なんの?検査の?)
「一次受付(Reception)」と書かれた場所で何かの受付。
過去14日間にハワイ州滞在ゆえ3日隔離の旨を改めて通告される。ハワイ州は「レベル3」地域だそうで、「ホテル待機」の項目に赤シール。この時点で、滞在場所は禁煙と喫煙のどちらがいいかを聞かれる。私は喫煙者だけど、3日タバコくさい部屋に閉じ込められるのはちょっとな、と思い禁煙を選択。
唾液での抗原検査というの?あれをやる。指示の言語が10か国語くらいで書かれていた。係員さんに渡して、次のゾーンへ移動。

16:40 アプリチェック、QRコードチェック
MySOSのDL、登録者情報チェック、使い方の説明。
その後、質問票に回答すると出てくるQRコードのチェックへ。せっかく紙に印刷して持っていったのに、にじんでいるだか何だかで結局スクショを提示。
この時点でもう完全に何便かの人が混ざっている様子。座るにしても並ぶにしても基本的に間隔は1メートル以下。うーん?

17:00 パイプ椅子待機開始(約1時間半
パスポートの裏に貼られた番号が呼ばれるのをパイプ椅子がずらっと並べられたゾーンで待つ。あれは普段の搭乗ゲートの近くなのか?やはり動く歩道の近くで、すぐ後ろは飛行機が見える窓。
ここまではぐるぐる歩かされてるから全然寒くなかったんだけど、座っての待ち時間が1時間を超えたあたりから、じわっと体が冷えてくる。私は落ち着きがないので、脚をぶらぶらしたり、一回は近くの人に荷物を見ていてもらってトイレにも。
定期的に「検査結果が出ました」とまとめて番号が呼ばれるアナウンスが流れる。順番通りに呼ばれているのかと思いきや、明らかにホノルル便組の番号だけ飛ばされている。おそらく強制隔離組だからということなのだろう。

18:30 移動開始
アナウンスで呼ばれるのかと思いきや、十数人分の番号を書いた紙を持った係員さんがやってきて、ひとりずつ番号を確認してはその紙に載っていれば列に並ぶよう指示が出る。ちなみにこの時係員さんが見ていた紙と同じものを、この後隔離場所に向かうまでの各地点で見かける。なので、ここで一緒に並んだメンバーはおそらく同じ隔離場所になると考えて良さそう。
番号の人が見つからないと、めちゃくちゃ番号を連呼されるの、なかなかの囚人感。

18:40 検査結果&入国審査
誓約書を回収され、陰性であることを告げられ(そりゃそうだ)、入国審査に向かう。入国審査が終わったら、預けてたスーツケースを受け取って、出口の方に向かう。よく出迎えとかの人がいるところにまた並ぶ。
ここで横にいたおばちゃんが「私達どこ行くの!」と係員さんに尋ねたことで、隔離先が両国アパホテルと判明。でもここでおばちゃんと係員さんのやり取りが無かったら、行き先をはっきり言われる機会ってバスに乗って「両国向かいまーす」って運転手さんのアナウンス聞く以外なかったかも。

19:00 バスに向けて移動→19:20 バス発車
バスに向けて移動しまーす、と歩き始めたと思ったら、途中で突然止められ、「ここらへんで待ってて!」と。まだバスが来てないから外で待たされたら寒いでしょう、という心遣いだったらしい。
10分強座って待った後にバスに向けて再び移動し、大きい荷物を預けて乗車。第二ターミナルで一緒に乗ったのが10人くらい。第一ターミナルに移動して、そちらでさらに10人ほど乗車。45人くらい座れるバスで約半分が埋まっている状態に。
まあみんな陰性って出たばっかりだからいいのかもしれないけど、ここまで本当に換気らしい換気が為されてたところはなかった気がする。バスの窓も閉めきり。いや、開けたら寒いからそれでいいのかな…?

20:30 両国アパホテル到着、「入所のご案内」が始まる→21:00 降車・受付
「これから入所のご案内を始めさせていただきます」となかなか聞かないパワーワードでのご案内が始まる。受付の広さの問題で前から4人ずつ呼ばれていき、順次バスを降りていく。これはぱっと見た印象だから確信はないけれど、おそらくこの両国アパホテルに連れてこられた人は全員が単身&禁煙っぽかった。
預けてあったスーツケースとその日の晩ごはんとしてビニール袋に入ったお弁当を受け取り、係員さんに手伝ってもらいながら部屋に向かう。

飛行機を降りてから隔離場所に着いて一息つくまで約5時間。強制隔離が下手すると名古屋だ福岡だ仙台だといったさらなる飛行機移動先になったりするのに比べたら、かなり何もかもがスムーズに進んだ運のいいパターンだと思う。
それでも入国審査後まで行き先はわからず、検査等のプロセスを書いた貼紙みたいなのもちょくちょく見かけたとはいえゆっくり見る時間もなく、ずっと「この後どうなるの?」「この状態であとどのくらい待たされるの?」という疑問がつきまとう。一緒に行動する人がいないと、トイレに行ったりするのもまあまあためらわれた。とはいえ、検査番号で管理されているため、もしその場にいなくても置いていかれたりすることはなさそうだけど。なんたって強制隔離対象だしな!

個人的に一番の懸念事項だった寒さはそれほどでもなかった。パイプ椅子で検査結果待ちをしている1時間半が最も寒いと言えば寒い時間だったから、もしもあれが3時間とか4時間とか待たされてたら(そういうケースもあったようだし)結構体が冷えてきつかったかもしれない。それでも、厚手の上着とかよりも、30分おきにでも立ち上がる時間を作るとかの方が意味のある寒さ対策になりそうな温度と状況。

 

そしてぜひ改善してほしいと思ったのは、案内のサイズや色をもっと見やすいものにしてほしいという点。待機場所含め途中では薄暗い場所も多くて、メガネだと0.3ちょっとしか視力の無い私には次どっちに向かえばいいのかの矢印も見えないことがしばしば。もしかしたら他の人たちには「こういうプロセスですよ」みたいな紙が普通に読めていたのかもしれないけど、私は結局最後まで全体像が見えないまま言われるがままに動いていた。
空港はふだんぴっかぴかに明るいけれど、あの明るさから急に薄暗くなる瞬間なんかも多くて、視力が弱い人にはかなり歩きずらい道のりだった。次にどっちへ向かうかの矢印だけでも、もっと大きくて目立つ色にしてもらえたら嬉しかったなあ。
視覚に限らず、あらゆる面でバリアフリーとは程遠い状態だったのも少し気になった。見える・聴こえる・歩ける・日本語が理解できる、という4条件を満たしている人しか想定していないような形で全体の動きが設計されていて、いずれかに問題がある人(あまり歩けない高齢者や日本語を話せない人)には個別に対応する方針のようだった。

 

時差ボケって感じはしないけど、単に眠いのでここらへんで。
強制隔離の様子はまた一時帰国中に時間見つけて書けたらいいな。

幸せの定義なんてねじ曲げてやる

「誰かの“彼女”でいることに耐えられない」、そう言って前の彼氏と別れた数年前の私を、今の私はまだまだ断然支持している。よくやった、あのときの私。

よくやったと思う。
だって、それはきっと相手にも周囲にも簡単には理解してもらえない理由だろうとわかっていたから。

あのとき私は決めたんだよ、「幸せ」になるって。
あのとき私は、みんなが幸せと呼ぶものをあきらめたんじゃない。私が「幸せ」だと思うものに手を伸ばそうと、たとえ届かなくても手を伸ばす努力を続けようと、そう決めた。幸福の追求。Pursuit of happiness。これは権利です。

 

そうやって思い描き始めた「幸せ」の中には家族がいた。
ふつう人はそれを家族とは呼ばないかもしれない、そんな家族がいた。あの子とあの人は家族だ、そう勝手に決めた。むちゃくちゃだとは思ったけれど、だって大切なんだもん。そういう相手なんだもん。だから家族だもん。常識も、法も、そう思われてる当人たちすらも認めてくれないかもしれないけれど、彼らは私の「家族」だと、そう決めた。

この夏はずっとそんな意味不明な家族計画を思い描いていた。で、そんな意味不明なことしかできないくらい、具合が悪かった。

 

名古屋場所の千秋楽を観てるとき、なんの流れだったか「もし帰ってくるなら隔離期間は匿ってやる」と、あの子からLINEが来た。その時は「ありがてー」とか冗談半分に言ってたけど、翌日の夕方には、ロサンゼルス・バンクーバー経由、ホノルルから成田まで計22時間、値段だって馬鹿みたいに高い、そんな航空券を購入していた。ほんとうに泊っていいの、という問いにあっさりと返ってきた「いいよー」の言葉。なんだよそれ、うれしすぎる。

「家族」だと思っているなんて口で言うだけで実際には何もできない私を、ふたりは「はいどーぞ」みたいなトーンですいすい助けてくれて、結局ふたりの優しさに甘えに甘えて一時帰国の約3週間を過ごした。旅の疲れというより二年分の緊張の疲れでへろへろだったけど、iPhoneに残ってる写真の中のわたしはなんだかどれもでれでれしている。ニコニコとかワクワクとも違う、完全に甘やかされて緩みきったでれでれの笑顔。
前に、まるで尻尾を振る犬並みに感情が顔に出てしまうという話をしたら、「むしろ顔に尻尾生えてるよ」と言われたけれど、否めない。好きな人といるときの写真、顔が違いすぎる。でれっでれ。自分で見ていて恥ずかしい。

その「好き」がどんな「好き」なのかはよくわからない。よくわからないから、よくわからないけど、本当に好きなことはわかるから、さしあたって「家族」と呼んでいる。

 

で、こんなのわたしの片想いよねって思っていたのに。
結論から言えば、この夏に私はあの人と法的に夫婦になった。

先輩後輩?元彼と元カノ?友達?そのすべてだけど、どれでもない、だから私が勝手に「家族」と呼び始めた、そういう関係。だけどひとつ確かだったのは、お互いのことがずっと大切だったということ。出会ってから約15年、お互いその時々に特定のパートナーがいても、その感情や関係が全く妨げとならない形で、むしろそのパートナーとの間に生まれた相手の幸福を喜ぶような形で、私たちはお互いを大切だと思ってきた。元気でいてね、幸せでいてね、そんな風に心のどこかで願いあい、その願いを補うように連絡を取ったり取らなかったりしていた、15年間のそんな関係。

いま私たちが置かれた状況で、この名付けがたい感情と関係を守るためにはどうしたらいいのか。大切な相手だから支えたい、それだけの思いを実現する最良の手段は何なのか。その答えが私たちにとっては結婚という法を利用することだった。

 

法律は残酷だ。
法律と、それに支えられた社会と、その中にはびこる常識と。そういうものは戸籍だとか血縁だとかをひっぱり出して実情なんてきれいに無視して「お前の家族はこの人よ」と決めつけてくる。ぼんやりとした世間は、関係性の形式をちらりと見ただけでいろんなことをわかったような顔をする。私があの人やあの子をただ「家族」だと言い張ったとしても、私たちの関係性が外部に開かれたときそれはあまりにも無力だ。

法律は強い。
実情がどうだろうと法で定められた形式に落とし込んでさえしまえば、そこには特定の義務と権利と、ついでにいろんな意味がついてくる。たとえば結婚する。愛とか性とか恋愛とか、一夫一婦的なやつとか、それまでの「お付き合い」とか、もうあれやこれやの想定が勝手についてくる。夫婦として支えあうために使える権利もついてくる。なぜか社会的承認までついてくる。

じゃあ、法的に夫婦になってしまおう。

私たちが助け合って生きるための便利な形式として、「夫」と「妻」になってみよう。その結果どんな「家族」ができてくるかはわからないけど、それはこれから二人で少しずつ決めていこう。へんてこな「家族」と新しい「幸せ」を一緒に目指してみよう。とりあえずそのプロセスもまるっと楽しんでみよう。ま、無理だったら離婚って手もあるし。

 

「よし、今度会うとき結婚するか!」「そうするか!」
ってな感じで決まった結婚。ふざけてるけど、まあまあ本気です。

一時帰国中は間に合わず(なんせ色々急だった)、結局わたしが新学期にてんぱり始めたころ受理された婚姻届。既婚者になりました。あらびっくり。

 

そしてその2日後に父が亡くなった。
親の死という人生初の出来事に対してはまだ何を思ったらいいのかわからない。法の定める家族、血が繋ぐ家族、愛し合う夫婦のもとに築かれる核家族。そういう全部に呪われているかのような人生だった。だから奇妙な「家族」を求め、最終的に法律も使って「家族」のフレームも作った。そのたった2日後に訪れた父の死。

ハワイでぼうぜんとしている私に代わって動いてくれた夫。ありがたくて、申し訳なくて、複雑で、でもこれでいいんだと思った。
これでもかというほど発揮された「夫婦」としての地位。夫の行動には感謝してもしきれないけれど、それらの行動はもし私たちが夫婦になっていなかったら、法的に「他人」のままであったなら、きっと遂行が難しいものばかりでもあった。「夫です」というだけで色んな説明が不要になった。婚姻届ひとつ出しただけで、あの人は私のとても正式で公式な家族になっていた。法律は強い、そして、残酷だ。

結婚前、証人になってもらった人にこんな話をした。
たとえば私の父が死んでも、「義理の父が亡くなったので会社休みます」なら皆納得するのに「友人の父が亡くなったので」では話が通じない、そんなの悔しい。私と相手の関係性は何も変わらないのに、なぜそんな大事なことを、その意味や価値を、法によって決められなければならないのか、許せない。
あまりにもその通りのシチュエーションがあまりにも早くやってくるもんだから、驚いてしまったよ。

生まれた時から法で縛られた関係であったがゆえに恨み続けた父。
その法を逆手にとることで幸せになってやろうと結婚した夫。
父の死という瞬間を迎えて、そこで見たのはあまりにもこんがらがった家族の姿だった。でもその光景の中にあの人が「夫」としていてくれた、そのことが与えてくれたとてつもない安心感は「結婚してよかった」とため息をつくには十分なものだった。

 

留学生活3年目。

今学期からとうとう始まった学部生へのティーチング。手続きがごちゃごちゃになった健康保険にソーシャルセキュリティナンバー。ひとつ先に進んだ博士号取得までのステップ。慣れないことだらけで、その上父の死という大きな何かも降ってきて、ていうかそもそも夏休み前からいまいちだった体調はいまだに下降の一途。

でも、今の私には「家族」がいるんだ。勝手な片想いじゃない、「家族」ができたんだ。愛犬のことしか家族と思ったことのない私に、とうとう人間の家族を持つ日が来たんだ。

そして、こっちはまだ片想いね、と思っていたあの子は、結婚するわ、と報告した私に「え、じゃああの人うちの伯父になるの?いや従姉妹の結婚相手みたいな?なんだ?」と謎めいた返答。なんだよそれ、またさらにうれしすぎる。

 

この新しい「家族」が、そこに生まれてくる関係が、何を意味しているのかもどんなものに発展していくのかも私自身まだ全然わからない。だけどこれはいつだか手を伸ばしたいと思った「幸せ」に近い何かのような気はしている。

幸福の追求はまだまだ続きます。

正しさの境界線

最近なんだか涙もろい。疲れてんのかな。
いや、たぶん、疲れてる訳じゃない。良いものに触れて、泣いているだけ。

人にすすめられて『大豆田とわ子と三人の元夫』を観てる。「第4話がとてもいいよ」と言われて、何日か前に第4話までたどり着いた。

泣いた。馬鹿みたいに泣いた。

「かごめちゃん言ってたよ。『とわ子は家族なんだ』って」。

かごめはなんか知らないけど気がつけばとわ子の家にいる。違和感なんて最初の最初の一瞬だけで、とても自然にかごめはとわ子の家にいる。その理由も彼女たちが30年来の友人だってこと以外とくに説明は無い。でもかごめは当たり前のようにとわ子の家にいて、一緒にご飯を作って、食べて、そこで五条さんからデートにまで誘われちゃう。(あのシーンはさすがに、五条さんここでデート誘うんかい、とは思った。)

でも、作品の細部からはかごめの孤独がこぼれ出る。実家への反発と嫌悪。いとこたちの言葉と視線。3日放置されるスマホ。理解できないじゃんけんのルール。山みたいな周りの人たち。
多くの人が知らず知らずのうちにアイデンティティの拠りどころとしている家族から逃げ、男と女が好き合えば恋愛という距離の近すぎる関係になってしまうからとそこからも逃げる。ひとりはちょっとさびしいと言いながらも、そうやってしか生きられない自分をきっと彼女は愛している。

でも、とわ子は家族なのだ。

とわ子はかごめの孤独を感じ取ることはできても理解はできない。山だから。でも彼女はかごめと大喧嘩するし、いなくなれば心配するし、何より、一緒にいることを当たり前に思っている。

 

きのう朝井リョウの『正欲』を読み終わった。
最初の8割くらいは、なるほどー、特殊な性癖を持つ何人かとその他数名の登場人物を通して「正しい欲望」と「正しくない欲望」の対比を描いていくのねー、初朝井リョウ作品だけどなかなか面白いわー。それが最初の8割の感想。

でも終盤に近付くにつれて、「正しい/正しくない欲望」の意味がぐにゃぐにゃと輪郭を変え始める。「正欲」は「せいよく」であって「性欲」ではない。人の欲望の対象は性なんかよりもっとずっと広く自分でも捉えがたいほどに曖昧。なのに世にのさばる恋愛(性愛)礼賛は、性欲を掻き立てる人間だけを愛と欲望の対象と認め、その曖昧さをさらに手の届かないものにする。

この物語がたどり着く「正しい」欲望は、おそらく他者の存在そのものに対する欲望なんだと思う。性欲の対象が人間でないゆえに「他者を登場させない人生を選んできた」登場人物たちが、逆説的に他者の存在の価値に気づき始める。

「その分、重石か何かで、自分をこの世界に留めてもらってるみたい」
呼吸をするたび、冷たかったシーツが温かくなっていく。
「ここにいていいって、言ってもらえてるみたい」
シーツの冷たさが、顔の温度と混ざっていく。
「どうしよう」
重なった二つの身体の境目が、どんどんなくなっていく。
「私もう、ひとりで生きてた時間に戻れないかも」
これまで過ごしてきた時間も、飼い慣らすしかなかった寂しさも、恨みも僻みも何もかもが、一瞬、ひとつに混ざったような気がした。

佳道と夏月はここで比喩的にではなくただ文字通り身体を重ねている。そこに性的な意味はない。それでも彼らはふたつの身体を否応なく感じ、まるでひとつになったかのような幻想が生まれる。
でもそれは「一瞬」の出来事。他者は他者、その事実が変わることはない。じゃあやっぱり人はどうしたってひとりなのか。特に彼らのようなマイノリティを自認する人々は、ひとりだと感じ続けなければいけないのか。

違う。他者の存在は、重石。「人間の重さって、安心するんだね」と夏月は言う。重いのは、それが他者だから。そしてその重みは人を世界に繋ぎとめる。その重みが与えてくれる安心感は「ひどく不安定で一時的なものかもしれない」。でも、他の誰かがまた重石になってくれるかもしれない。誰かひとりが与えてくれる重みが不十分でも、何人か集まれば十分な重石になるかもしれない。それは全部ひとりじゃどうしようもないことだから不確実な可能性でしかないけれど、その重石の存在を知って生きる時間は「ひとりで生きてた時間」にはきっと戻らない。

体内に築かれた宗教が重なる誰かと出会ったとき、人は、その誰かの生存を祈る。心身の健康を願う。それは、生きていてほしいという思いを飛び越えたところにある、その人が自殺を選ぶような世界では困る、という自己都合だ。
(中略)
宗教が同じ人が心身共に健康で生きているというだけで、手放しそうになる明日を手繰り寄せられるときがある。その人が生きている世界なら自分も生きていけるのかもしれないと、そう信じられる瞬間が確かにある。

作中でこの「宗教」は登場人物の「特殊な」性癖というような意味で使われているけど、性癖に限らずこういう「宗教」ってたぶんもっとたくさんある。たとえば、家族教。マジョリティすぎて信者であることにすら気が付かない人々。その宗教圏に生まれたはずだけど、私は残念ながらありがたいことに異教徒だ。「親子ならわかりあえるはず」、「育ててもらったことに感謝しなきゃ」、家族教の聖典に並ぶ言葉たち。嘘つけ。
家族教を信じない人は多い。でもそこで何を信じるかは結構みんなバラバラで、だから私は、とわ子とかごめが築いたような「新しい家族」教を作ることにした。教義、発展途上。信者数、不明。

そして、勝手に祈ることにした。この人と同じ世界に生きていることがそれだけで嬉しいと心から思える、そういう相手の生存と良い毎日を勝手に祈る。時には心の奥のどこかで、時には強く強く涙が出るほどに。そんなグラデーションを描きながらも、この祈りは途切れなくつづく。彼らが何を信じているかは知らない、ちょっと怖くて聞けないなぁと腰がひける。ただ、彼らが私にとって大切な人だから、これまでの人生で間違いなく私の重石になってくれた人だから、まるで片想いみたいだけどそれでも祈る。

「いなくならないで」

彼らのために祈るふりをして、私はけっきょく「いなくならないで」と自分のために祈っているのかもしれない。

「いなくならないから」

神様なんてどうでもいい。家族教の教義なんてもっとどうでもいい。「新しい家族」教とか言ってるけどそれが要するに何なのかすらどうでもいい。
いなくなりたいというあなたに私が最初にかけた言葉は「やだ」だった。そんなの“私が”耐えられない。あなたがいない世界では“私が”生きていけない。超勝手だ。思いやりのかけらもない。でも、そのとき私にできたのは「いなくならないで」と祈り、「私はいなくならないから」と精一杯伝えることだけだった。「いなくならないから」と言ってもらえること、言いたい相手がいること。それが一番の救いだと気づくのに、30年以上かかっちゃった。

で、なんかもうさ、これ「家族」じゃん。
「正しい」家族の何がそんなにいいのか、いくら幸福そうなサンプルを見てもよくわかんない。それに結局みんなが何をもって誰かを「普通の」家族の一員と見てるのかも理解できない。でも、「いなくならない」でいてくれたら世界のどこでどう生きていたって私も生きていけそうだなあって思う、みんなそういう人を家族って呼んでるんじゃないの?違うの?もし違うなら、なんでそんなに家族家族って言うの?
わかんないや。わかんないから、もう「家族」って呼ぶことにする。だってこれ、家族教の異教徒ながらに心の隅っこで「なんかいいなあ、欲しいなあ」って思ってた幻みたいなのにすごく近いもん。これは「家族」。

 

たとえば、お父さんとお母さんが愛し合っていて愛の結晶の子どもがいる(ということになっている)「正しい」家族を100%の家族とする。かごめにとって「お父さんでお母さんで兄弟」みたいなとわ子がいて、あと100年くらい大人になれない「子ども」のかごめ自身がいて、二人の愛の結晶でもなんでもないけど二人で成長を見守ってきた唄がいる。その関係性って60%くらいは家族なんじゃないのかな。だからかごめは、40%だけひとりぼっち。
「いなくならないで」という祈りに「いなくならないから」と応えることでお互いが、またはもっと多くの人が生きていけると思える関係も、もしかしたらある人にとっては2%くらい、ある人には80%くらい、そして時には複数人が合わさることでほとんど100%近い家族になったりするんじゃないかな。その不安定さはひとりぼっちを残すだろうけど、重石としての他者を知っているあなたはきっと見棄てられたような残酷なひとりぼっちに取り残されたりはしない。

そんな、家族はパーセンテージで表せないだろ、人の関係は家族か家族じゃないかのどっちかだろ、家族教を盲信するどこの誰かもわからない何者かはそんなことを言う。何度も何度も何度も、あっちからもこっちからもいろんな声で異教徒を取り囲む。

うるせぇよ。

私はあの子と一緒に暮らせたらと思う。リビングの掃除したり、洗濯物の干し方で喧嘩したり、良いことがあった日にはお互いの好物を料理したりして、それを日常にしたい。あなたが病気になったら看病するし、何か大変なことがあったら一目散に駆けつける。それってもう、54%くらいは家族なんじゃないの?
私はあの人をできる限り支えられたらと思う。残念ながら(?)彼については恋愛っぽい感情がゼロかと言われれば「さあねぇ?」ってなるけど、確実にそんな感情を超えた何かがある。仕事がつらそうなあなたに「養ってやるからしばらく休め!」って言ってあげられない自分が心底悔しい。そんな自分の無力さが嫌になる。当然のようにこんな風に思えるって、47%くらいは家族って言っていいんじゃないの?

あら、二人合わせたら101%だ。親も兄弟も「いない」私に100%を超える「家族」ができてしまった。でも54%と47%それぞれの残りのところでは、私はひとりのままだ。ちょっとさびしくて安全な、ひとりぼっち。この組み合わせって、すごい安心と幸福に満ちた暮らしだと思わない?
わかってるよ、こんなの全部一方的でばかけた妄想かもしれない。でも今はそれでいいんだ。だってこういう「家族」を思い描けることが、その可能性を信じられることが、すでに私にとって救いなんだから。

世の中の夫婦が離婚したり親子が絶縁したりするように、いつか私も彼らと離れてしまうかもしれない。反対に、そう思える人が増えることもあるかもしれない。あるいはまたひとりぼっち100%になるかもしれない。それはわからない。ただ、そういうものに自分を開いていたいと思う。


とわ子とかごめは家族だ。
公式HPの相関図には「大豆田家」の黄色い楕円の中に、とわ子と唄ととわ子の父旺介だけが入っている。それでも、誰がなんと言おうと、とわ子とかごめは、家族だ。

だって、視聴者すら顔を見せてもらえなかった最期のかごめに「さようなら」って最初に言ったのは、きっととわ子だったんでしょう?

 

 

マウナケアから沖縄へ

数週間前、久々に皆既月食があったらしい。ハワイ時間だと真夜中だったから、「まあいいか」と寝てしまった。でもTwitterを見ながら、なんか盛り上がってんなーと思っていた。

なんか盛り上がってんなーと思ったついでに、相変わらずTwitterではあるけれど、ちょっと何がどうなってるのか調べてみた。

え、ハワイからYouTubeで動画配信?
へー、まあハワイからとかみんな好きそうだもんね。
日本の「すばる」って望遠鏡があるんだ、知らなかったなあ。

ここまではよかった。でも、このあと「マウナケア山」の文字を見て目を疑った。

 

ハワイに来て、ハワイの大学院で学んで、約二年が経った。

「マウナケア」という言葉は、ハワイに来て最初に出会ったなんだかよくわからない単語のひとつだった。「ケア」って "Care" かなぁ、社会保障かなんかの話かなぁ、でも出てくる文脈がちょっとおかしいなぁ、なんてのんきに思っていた。

そのうち何かの拍子にようやくハワイ島にある山の名前だと知り、同時にそこで何が起こっているのかも知った。

マウナケアはハワイ州にある最も標高の高い山。その標高から、天体観測にとても適した土地らしい。だから、望遠鏡が建つ。アメリカだけでなく、日本を含む数か国も望遠鏡を持っているし、現在ではTMTというやたらどでかい望遠鏡を建てる計画もある。先日の皆既月食で日本に動画配信するために使われた「すばる」もこのマウナケアにある。

しかしこの山は、ネイティヴ・ハワイアンにとっての聖地でもある。
250年ほど前にクック船長がやってきて、その後も続々と白人が入り込み、白人たちに連れられて(あるいは自主的に)アジア人も流れ込み、最終的にアメリカの州になったハワイ。でもその前には、ネイティヴ・ハワイアン独自の文化が何世紀もの長い時間をかけて発展してきた。
私も正直あまり詳しいとは言えないけれど、このハワイ独自の文化にとって土地は最も大切にされてきたものといってもいい。きっとこの感覚は日本人にとってそれほど理解しがたいものではないと思うけれど、狭い土地で長く生きる、つまり持続可能な生活を続けるためには、土地とうまく付き合わなければいけない。たとえば津波地震が多く、山地の割合も高い日本で、それらをすべて無視した生活をすればあっという間に人は生きていけなくなる。私がこの2年間で感じてきたハワイの文化というのは、そういう土地を大切にする、そのために(というかその結果自然と?)土地や動植物が神聖化される、そういう文化だ。

そして、その中でもマウナケア山というのは、とりわけ神聖な場所。

私がハワイに来てから、皆がなんだか怒りを込めてマウナケアの話をしていたのは、先に言ったTMT建設への反対運動のことだった。

このブログを書くならちょっと調べるか、と思って読んだいくつかのニュース記事には「先住民(団体)」が反対していると書いてあったが、そんなもんじゃない。少なくとも私の周り(つまり人文系大学院関係者)では、人種や出身地にかかわらず、多くの人がアメリカ(や日本やその他の国々)の横暴にはっきりと反対の意志を表明し、少なくない人数の知人や友人が現地での建設反対デモにも参加している。

私はと言えば、人の熱気や怒り、たとえそれが正当なものであろうとなかろうと、そういうものに触れるのが苦手すぎて、本当に体調を崩してしまうような貧弱な人間なので「そうなのかあ」とぼんやりその様子を見ていた。当然ながらデモには参加してないし、教室内でその話題が出たときですら、ちょっとうつむきがちな感じでやりすごしている。無責任にもほどがある。

でも、この場合わたしの「責任」って何だろう。
私はハワイ出身でもないし、一時的にハワイに住んでいるとはいえあと5年もすればきっとここを離れる。ハワイに関する研究をしているわけでもない。あえて言うなら、人文学のいち領域としてアメリカを研究する者としての責任?
こんな広くて難しくてぼんやりしている問に答えが出るはずもなく、私は居心地の悪さだけを感じながらこの2年間をやり過ごしてきた。

 

でも、そんな風に「わっかんねぇなぁ」とか言ってたのに、この間の皆既月食のニュースで「マウナケア」の名前を見たとき、ものすごく心がざわついてしまった。

少なくともTwitterで見る限り(他のものも見ろよ、という点はともかく)、個人も、Webメディアも、新聞社の記事でさえも、「ハワイのマウナケアにある望遠鏡『すばる』からの動画配信」をほとんど浮足立って伝えていた。
マウナケアがハワイの文化にとって神聖な場所であること、そこがまさにその「すばる」をはじめとする望遠鏡建設によって壊されつつあること、ハワイに住む多くの人、最近ではハワイ以外の土地に住む人でも、本当に多くの人がそれに怒り建設を止めようと必死の努力をしていること、そういったことは結構しっかり新聞社の記事を見たけれど、たったひとつの記事も、完全に、誰も、何も、触れていなかった。

もちろんそれについて誰も責める気はない。そもそも皆既月食のニュースだし、知らないもんは知らないんだから。ていうか、私だって「マウナケア」が山だと知るまでに何か月もかかったくらいなんだから。

でも、それでも私の心はざわついた。私が驚いたのは、むしろこの自分の反応の方。
今までどんな土地にも愛着を持ったことはなかった。特に個性も何もない千葉のベッドタウンで生まれ育ち、大人になってからは東京近辺をふらふらひとり暮らし。「好きな街」とか「住みやすい街」とかはあっても、「この場所、この土地が大切」という感覚には無縁だった。それどころか、その感覚が最も得にくく無常にすべてが流れていくような場所であるがゆえに東京が好きだと昔も今も思っている。

なのに。マウナケアをただの観光地の素敵スポットとしてしか見ない情報のかたまりを見て、私が感じたのは心のざわつきであり、とても大きくその感情をくくれば、怒りだった。
確かに私はぼやぼやしていただけだけど、それでも私はマウナケアについて真剣に考えて怒って泣いて行動している人たちを見てきた。ただ傍にいただけだと言われれば確かにそうだけれど、それでも、私は彼らの存在と感情に触れてきた。

 

そんな自分のささやかだけど大きな変化に驚いていたら、自然と沖縄のことが頭に浮かんできた。

なぜかさいきん沖縄のことに興味津々で、まあその理由は、沖縄に親しい友人がいるとか、その友人から色んな沖縄の現状を聴いているとか、学期末のペーパーに沖縄の演劇『人類館』を選んだとか色々あるんだけど。

でも、そういう色んなものが、色んなものっていうのはつまり、沖縄の人たちが沖縄という土地で生きてきて、そこの文化と歴史を抱えて今も暮らしている(そしてその中にはとうぜん差別や基地の問題が含まれる)という事実を、なんとなく肌で感じるものとしてとらえ始めている自分がいる。
きっと昔の、つまりハワイに来る前の私だったら、単なる知識としてそういうものを見ていたと思う。でも今は、沖縄で起きている様々な出来事を知った時に、自分の感情が動き、動揺し、どうしたらいいかわからないようなところに置かれる瞬間が訪れる。

アメリカ帝国(沖縄の場合は日本も)に文化・歴史・土地をめちゃくちゃにされてきたという共通点だけで、沖縄とハワイを並べて見てしまうのは確かにあまりにも短絡的だと思う。もちろん共通点は多い、だけど違う。

じゃあなんでその二つの土地が私の中で結び付いたのか。
それはおそらく、私の立ち位置の問題なんだろう。

授業中、盛り上がる議論を聞きながらうつむいていたこと。デモという行動にはきっと一生参加できないこと。そもそも、どんなものを目にしても経験しても「怒る」という反応をできないこと。だから、直接的に彼らの「役に立つ」ような行動はきっと何もできないこと。

それでも、その土地を愛し、守ろうと懸命に努力し、抵抗し、そうやって暮らしている人がいることを私は知っている。彼らの言語や文化は正直よく知らないけれど、そしてそのことにまた申し訳なさや気まずさを感じるけれど、それでも、彼らがそれを大事にしようとしている、その想いの強さや深さを肌で感じている。

これはもう、「他人事」じゃない。でも、絶対に「自分事」ではない。
「自分事」のように捉えてうかつな代弁者になることは、何よりも罪深い。
じゃあ、私はなにものなの?

そのはざまで感じる、自分がどうしたらいいかわからなくなるような、身の置き場を失うような、気まずくて、居心地が悪くて、そして申し訳なくて恥ずかしいような、そういう気持ち。
おそらく私がハワイと沖縄の共通項として見ているのは、そういう自分の立ち位置の方なんだと思う。

 

Indigenous Studiesという分野がある。日本語にするなら「先住民研究」といったところか。アメリカならネイティヴ・アメリカンネイティヴ・ハワイアン、日本なら沖縄やアイヌの人々を対象とした学問分野。彼らの文化を学ぶというより(それもあるけど)、彼らの文化や土地が世界的な文脈の中でどう扱われ、その状況をどう乗り越えるべきか、といったことを学ぶ。

苦手だ。とても、苦手だ。

そういう議論をするときに必ず出てくる言葉として "positionality" という言葉がある。単純に言えば、その問題や人びとに対してあなたはどういう立場をとるの、と問う言葉。たとえばハワイなら、日本人は植民者であり、でもアメリカから差別された者であり、もっと個人的なレベルでも、私は留学生であり、人文学の大学院生であり、おそらくセクシュアリティはマイノリティに分類され、今も東京を愛している。そういう色々をひっくるめて、あなたは、他の誰でもない「あなた」は、ネイティヴ・ハワイアンの問題とどう向き合うの?そう問いかけるのが "positionality" という言葉。

けっきょく私は、この "positionality" をどうしたらいいかわからずにいて、いや、包み隠さず言えば、決めるのが怖くてぐずついているのだ。
なんとなく「これが私のpositionality」って断言してしまったら、思考のどこかが止まってしまう気もするし、かといってあやふやなまま研究をするのは倫理的な疑問が生じる気もする。決めなければいけないのだろうか。それとも、決められない自分と向き合い続ける、それでいいんだろうか。
今のわたしには、それすらもわからない。

 

この間、アメリカ本土の大学院に留学している友人と話しながら、ぽろりとこんな言葉が口から出た。

「大学院留学で、まさかその『土地』に影響を受けるとは思わなかった」

ハワイに来て、ハワイで学んで、そうでなければ知らなかったことを知り、見えなかったものが見えはじめた。そこから影響を受けて、研究テーマにまでそれが入り込んでくる。土地への愛着なんて想像もできなかった私が、まさに今ハワイという土地に影響を受けている。それはもはや、否定しがたい体感として私の中にある。

とはいえ、この気持ちは当然ながら(残念ながら?)愛着ではない。でも、この土地で暮らさなければ知ることのできなかった何かを、私は今自分のなかにとりこんでいっているのだなと思う。

 

いつの間にか、マウナケアの望遠鏡も沖縄の基地問題も、「他人事」でも「自分事」でもなくなってしまった。ほんとにもう、想定外にもほどがある。
私はきっと、いつまでもこのぐずぐずした気持ちを抱えながら、暮らしたり、研究したり、ため息ついたり、たまにちょっとだけ怒りのようなチクリとした気持ちを感じていくのでしょう。
とりあえず今は、そんなところにとどまってみる。

鬼を滅してスマイルして

年末に『鬼滅の刃』を一気読みした。3日ぐらいで。
その少し前に友達から「鬼滅読んだ?」と訊かれて、感想を話したいから読んでくれということで。流行り物はとりあえず手を出してみるタイプ。というわけで読んだ。

まー、うん、なんだろうね。
正直作品それ自体については「最高傑作とは言えないね」という程度にしか思わない。これは友人も言ってたことだけど、確かに人物造形が浅いし、物語もよく言えばテンポが良い(良すぎる)、ストレートな言い方をすればすべてのエピソードがざっくりしててスカスカ。まあ、でもね、これは別にいいのよ。こういうゆるい構成だからこそファンが遊ぶ隙間ができたりもするんだろうし。

でもこれがこんなに流行ってるということには結構ひいた。「こんなに」ってニュースとかネットで見てるだけだから実際にどれほどなのかはよく知らないけど。

その一番の理由が炭治郎のキャラクターが「いい子過ぎる」こと。彼は少年漫画の主人公には珍しく、物語の中でまったく成長しない。もちろん戦闘の技術とかは上がるし、その結果強い敵に立ち向かえるようになったりもする。でもその一方で、人間的成長だったり、若さ/幼さゆえの葛藤みたいなものは全然ない。行動の基準も「家族(主に妹)のため」または「復讐」しかなくて、どっちも人の為であり「我を通す」みたいな瞬間は私が覚えている限り一度もなかったように思う。つまり炭治郎は最初から最後まで「人のため」だけに行動する優しさと正義感の塊みたいな少年として描かれている。

しかも、鬼殺隊のメンバーは上司にあたるお館様から「我が子」のように見られていることを示唆する表現がたくさんあったり、そもそもあの子たちはほとんどが本当にまだ「子ども」と呼んで差し支えない十代の少年少女。っていうかそのお館様という上司の役割すら最終的には代がわりして幼い少年が担うことになってしまう。そしてその全員が、自分が強くなりたいとか勝ちたいとか悔しいとかいう感情をほとんど見せないまま(たとえ見せてもやっぱり「人のため」という形で)、自分の大切な人のために命を投げうっていく。そこに恐怖心はあったとしても、「なんで私がこんなことせにゃならんの」みたいな身勝手さは皆無。なんかもう、完全に神風特攻隊を思わせる何かだった。

つまり何が言いたいかというと、「純粋で優しい天使のような子ども」みたいなイメージがあまりにもナイーブに描かれすぎちゃいないか、ってこと。だって子どもってさ、わがままなもんじゃん。家族のため、とか、復讐のため、とか普通どっかで忘れちゃうし、そんなこと忘れて自分の、誰のためでもない自分だけの好きなことや楽しいことをしちゃうものじゃない。だからこそ周りには大人がいて、危ないところに踏み込みそうになったらストップかけてあげる、それが大人の仕事じゃん。子どもなんて1日一緒に過ごすだけでも100回は「にくたらしいわぁ」って思う瞬間が発生する生き物だし、そういうのをひっくるめて、むしろひっくるめるからこそめっちゃかわいい。もちろん、「子ども」のそういう乱暴で身勝手なところが嫌いな人もいるだろうし、でもそれはそれでいいんじゃないかと私は思ってる。子どもは、面倒くさくてにくたらしくて、それをかわいいと思う大人もいれば、嫌がる大人もいる。なんていうか、感情に野性味があるのが子どものいいところだと私は思うんですよね。

だから、この作品が大ヒットするって、やっぱりちょっと異常な感じがしてならない。小中学生くらいがはまるのはまあいいとして、いやそれはそれで「君たち素直ね……」とちょっとびっくりなんだけど、でも興行収入とかが高いってことは大人たちもこの作品をある程度評価して好んで消費してるってことでしょう?いい大人が炭治郎みたいなツルツルピカピカの優等生見てなに喜んでるの?そんなに子どもたちが自分の思い通りになってほしいの?
それはやっぱ、ちょっと違うんじゃないかなあ。

 

そんな事を考えたり最初に読んでと言ってきた友人と話したりしてたお正月、こっちのテレビで日本ではクリスマスにやってたMステのスペシャルを見た。

で、そこでまた、「うーん???」となる。

森七菜という女優さん(なの?)はそこで初めて知ったんだけど、あまりにも何の感情も無い人形みたいな歌い方をしていて、結構ぎょっとした。「スマイル」という曲自体も、オリジナルが96年だから仕方ないのかもしれないし、そもそも私はオリジナルに関する文脈を全然知らないので的外れかもしれないけど、「深刻ぶった女はキレイじゃないから」という歌詞には辟易する。っていうか、それを彼女のような若い女の子に歌わせようって企画したり、その歌や映像を喜んで消費している大人がたくさんいるということにもため息が出る。

それでもまだ、もしも彼女が楽しそうに歌っているなら、歌が好きだという雰囲気で歌っているなら、まあいい。でも見るからにつまらなさそうなんだもん。「こういう感情を表現するには、こういう表情をすればいいんでしょう」と言わんばかりの、演技であることを隠そうとすらしない、なんというか、無感情な表情。もちろんかわいいはかわいいんだけど、あれはちょっと観てて心配になってしまうというか、正直なんかこわいなって思ってしまった。

でも2~3年前に当時小学校高学年だった生徒がプリクラを見せてくれて、なんでも最近は無表情で映るのが流行りだと教えてくれた。もちろん小学生の流行だからもう数年で様変わりしているのかもしれないけど。でもインスタとかを見てると、ポーズとかは変わっても、やっぱりみんな感情が見えない顔をしている気もするし、どうなんだろう。わからん。つまり、森七菜的な「型」としての感情表現みたいなものが単に流行っているだけなのかもしれないとも思うけど、うーん、いまいち未知の世界。

人形みたいと言っても、たとえばフランス・ギャルなんかはお人形感たっぷりでも、それはまだ表情や感情がほぐれてないだけ、という感じだった。表情やポーズの見せ方だってその時代時代に流行があって、90年代の歌手とか見ても笑ってないどころかカメラを睨みつけてるような人もたくさんいるけど、でもそこにはかっこつけようとする意志だったり大人や社会への反抗心だったりがにじみ出てた。だから、本当に全部の感情がからっぽみたいなのは、なんだか慣れない。実は広瀬すずが出てきた辺りから似たようなことを感じてたけど、今回の森七菜の「スマイル」はその数段上のうすら怖い雰囲気があったわ。

 

いやもうジェネレーションギャップだよって言われたらそれまでなのは本当にそうなんですけど、それでもねー、なんかねー、もやぁっとした気持ちが広がってしまう。
もっとシンプルに自己中心的で欲望に忠実な、そういう子どもや若者が社会から排除されないといいなと思うし、子どもたちにはもっと思う存分わがまま言って子ども時代を過ごしてほしい。私自身が親の顔色ばっかりうかがって、それこそ炭治郎並の真面目な良い子をやってきたタイプだからこそ、それはやっぱ不健全だなって思うし。

子どもたちはみんな自分の思うがままに海賊王を目指したり盗んだバイクで走りだしたりしてればいいさ。もちろんそれを見たら私はめちゃくちゃ叱ると思いますが。