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煉獄日記

目指せ天国。

なぜ算数を勉強しなくちゃならないの?

「なぜ算数を勉強しなくちゃならないの?」

これは子どもから頻繁に聞かれる(そして困る)質問のひとつである。しかしこれから、ジョン・ロックの言葉を借りつつ、精一杯この質問に答えてみようと思う。引用はすべて、『知性の正しい導き方』(ちくま学芸文庫ジョン・ロック著、下川潔訳)からです。

 

1.算数を学ぶのは、真理にたどり着くためです。

 私たちはしばしば、人々の間で優勢な意見や、世間で敬われている人物の主張する意見を正しいと思いがちです。しかしそれらは本当に正しいのでしょうか?あなたは何によってそれを判断するのでしょうか?ジョン・ロックはそこで、「厳密な推論をしたり、諸帰結の長い連鎖の中で、心理の依存関係を最も遠くの諸原理にまでさかのぼって追跡し、その結合を確認すること」(38)が必要だと述べています。つまり、これは真である、という事柄をひとつずつ確認し、その繋がりの中でより複雑な真理を理解しなさい、ということです。そして、ロックはそのような推論の練習方法として、算数(数学)を挙げています。

 

2.算数を学ぶのは、理性的な人間になるためです。

 自分と異なる意見を持った人に出会うと、思わず反感を覚えたり、「それは偏見だ」などと否定したくなったりします。しかしロックはそのような姿勢こそ自身の偏見を露呈する行為だと指摘します。「本人が自分の意見を表明した後で、自分の意見への反論に耐えられない、反論を検討し評価するのはもちろんのこと、それを忍耐強く聞くことすらできないと仮定してみましょう。この場合明らかに、その人は自分が偏見によって支配されていることを告白しています。しかも、その人は心理の明証性の中にだけではなく、何らかの怠惰な予断、何らかのお気に入りの思い込みの中に、心安らかにとどまっていたいと思っています。」(59、強調は原文)しかし、厳密な検討を経た後にもった意見であれば、私たちは他の人からの批判にもひるむことなく立ち向かえますし、自分の推論に誤りがあればそこで自らの過ちを認めて正しい意見を持ちなおすこともできます。そのような意見を持つ練習として、答えを求めるために小さな推論を積み重ねていく算数は最適なのです。

 

ここまで読んで、真理なんて知らなくていいし、そんなに厳密に理性的である必要なんてないよ、という人がいるかもしれません。しかし、そこで一番重要なポイントは以下のことになるかと思います。

 

3.算数を学ぶのは、自由になるためです。

 真理や理性から目を背けることは、自由を捨て去ることだとロックは言います。私たちは自分が自由だと思っていても、それは単に「自分の意見を検討したこともなく、またそれゆえにその意見の真偽を知ることもなく、本来それに関心をもつべきであるのに関心をもっていない」(66)だけかもしれません。大人たちに与えられた規則や原理を鵜呑みにし、それが善だと信じ切るような生き方は不自由だと思いませんか?「当たり前」だと偉い人たちが主張することを検討、批判する力をつけること。それこそが学ぶことの目的なのです。自分の頭で考えた上で、それが正しいと思えばその時受け入れればいい。相手の意見が間違っていると思ったら、その相手と議論をしてみればいい。算数の勉強は、自分にとって本当に良いものを探し、手に入れる思考法を身につける練習です。

 

算数の学習は、確かにその知識そのものは「なんの役に立つの?」と思うものばかりかもしれません。お風呂の栓を抜いたまま給水していたり、弟は必ず忘れ物をして兄に追いかけられたり、算数の問題に出てくる人たちは算数を学ぶ皆さんはしないようなミスばっかりしますもんね。しかし算数を学ぶ本当の目的は、ここまで見てきたように、受験に受かることでも(受かった方がいいけどね)、鶴と亀の数を知ることでもありません。知性を鍛え、知性によって導かれた自由を手に入れることこそ、算数を学ぶ最大の目的です。

しかしこれもジョン・ロックを読んだ私の結論にすぎません。子どもたちが大いに算数を学び、理詰めで反論をしてきてくれることを私は楽しみにしています。

 

 

知性の正しい導き方 (ちくま学芸文庫)

知性の正しい導き方 (ちくま学芸文庫)