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煉獄日記

目指せ天国。

SMAPは私の太陽だから

SMAPが解散するらしい。

SMAPが、解散、するらしい。

 

SMAP解散」の文字はこれまで数え切れないほど見てきた。森くんが脱退し、吾郎ちゃんが捕まり、木村くんができちゃった婚のような形で結婚し、つよぽんが再び捕まり、アイドルとは思えない劣等生ぶりを見せてきたSMAP。解散の噂がたつのも当たり前だ。むしろこれまで解散せずに済んでいたことのほうが奇跡だったかもしれない。

しかしそのすべてを、ファンたちは「またやってるよ」と笑い飛ばし、心の片隅で一抹の不安を抱えながらも「まあSMAPなら大丈夫」と信じてきた。

私も、そういうSMAPファンの一員だった。私がSMAPファンだと知る周囲の人から「SMAPって仲悪いんでしょ?」とか「SMAP解散するの?」とか言われても、「まあまあまあ」と笑って受け流してきた。私は彼らのファンだったから。アイドルとしての彼らに不信感を持つなんて、ありえないことだったから。

なぜそれがファンにとって「ありえないこと」だったのか。今回はそれを考えてみたい。連日様々なメディアで様々な情報が飛び交っているが、そういったこととは一切関係のないアイドル論として読んでもらえればと思う。

 

アイドルとファンとの関係は、光源とスクリーンのようなものだと思う。

まず、光源であるアイドル。メンバーひとりひとりが異なる色に輝き、それぞれの色が集約された時、そのアイドルグループの光が生まれる。アイドルグループのメンバーにしばしば色が決められるのは、そのことを象徴しているように思える。例えばSMAPであれば、ピンクの中居くん、赤の木村くん、青の吾郎ちゃん、黄色のつよぽん、緑の慎吾。各々が発する光はそれぞれに趣が異なり美しい。しかし、その五つの色が重なったときに生じるのは、メンバー個人が持つどの色とも違う、「SMAP」という新しい色彩だ。個々人の活動を寄せ集めただけではSMAPの色は完成しない。「個人でも十分に活動していける」という意見が大変的外れに思えるのはそのためであろう。5人のメンバーが各々力強く輝き、その光が集まったときにだけ生まれる太陽のような存在、それが私にとってのSMAPというアイドルだ。

次に、スクリーンとなるファンたち。アイドルは光源だと上で述べたが、光は何かに反射して初めてその姿を現す。アイドルがどれほど美しい光を発していたとしても、それを映すスクリーンが存在しなければそこに輝きは生まれない。アイドルがアイドルであり続けるために、その熱にさらされながら身を挺して彼らの輝きを支える、それがファンなのだ。さらに言うならば、ファンだからといってすぐに完璧なスクリーンになれるわけではない。アイドルの活動を追いかけ、楽しみ、味わい、そのアイドルが最も輝くスクリーンとなれるよう時間をかけて微調整を繰り返す。それは時間のかかる作業だ。資本主義のこの社会においては、お金だってかかる。それでも目の前にある光源の価値を信じて自分の時間、お金、さらには生活をささげていくのが私にとっての「アイドルファン」の定義であり、これまで私がSMAPに対してとってきた態度である。

「ファンがいなければアイドルは存在しない」という言葉が時折聞かれるが、そこでいう「アイドル」とは光源としてのアイドルとは少し意味が違うのだ。つまり、一般に考えられている、そして一般の人が見る「アイドル」とは、スクリーンに映された物語でしかない。アイドルとファンが一体となって生み出す「アイドル劇場」にふらっと立ち寄った一般の人々は、スクリーンに映し出される映像を見て「ほほぅ、これがSMAPか」などと言い、面白いとか面白くないとか感想を述べ、再びその映画館から立ち去っていく。彼らにとってSMAPというアイドルはひとつのエンターテイメントであっても、人生の一部ではない。その点で、アイドルを見つめる視線は、ファンであるか否かによって全く質の異なるものだと言えるだろう。

SMAPは、その「アイドル劇場」に多くの観客を入れすぎたのかもしれない。観客の野次は次第に大きくなり、「国民的アイドル」などというおかしな宣伝文句をつけられ、観客の声はいつの間にか無視できないボリュームになっていた。ファンはその変化に戸惑いつつも、SMAPが輝き続けるために彼らを必死で応援してきた。しかし、アイドルがアイドルである以上、野次ばかりが大きくなる環境で生き延びることはできない。今回の解散報道で、それがよくわかったような気がする。解散というグループの一大事に直面しても、アイドルの声もファンの声も全然聞こえてこない。聞こえてくるのは興味本位に「SMAP劇場」を覗きに来た野次馬の憶測ばかり。そんな状況では、SMAPSMAPとして存在できるはずがない。

 

SMAPが解散するなんて信じられない。今でも壮大なドッキリなのではないか、もしくは私の夢ではないかと真剣に疑うときもある。だって、私は彼らの発する光を反射するためだけに存在するスクリーンなのだから。彼らが美しく輝いてほしいという一心で、これまでSMAPファンとして生きてきたのだから。SMAPがいなくなってしまったら、「SMAPファン」であった私はどうなってしまうのだろう。

でももし、本当に本当に彼らが解散してしまうのならば。SMAPという物語が終わりを迎えてしまうのならば。どうか最後だけでも、アイドルとファンが築き上げてきた関係が、野次馬たちによって土足で踏み荒らさないことを願っている。