煉獄日記

目指せ天国。

読書感想文もたまには書きます

又吉直樹『火花』を読んだ。

『花火』と間違えられまくっているタイトルだが、しょっぱなから花火大会のシーンなもんだから「まぎらわしいわ!」と笑ってしまった。

火花

火花

 

 

吉祥寺の猥雑さを感じさせる濃密な文章と、若者の青くささに満ちたちぐはぐな会話文。いかにも芥川賞、いかにもデビュー作という趣の作品である。語りたい、語りすぎてはいけない、そんな複数の欲求と抑制の間で揺れ動く文章がなかなかに魅力的だった。

そして語り手としての主人公がいい。人物としての徳永は(それこそ過去の筆者を思い起こさせるような)暗い若手芸人なのだが、彼は神谷という「天才肌」の青年に無条件に惚れ込み、彼の振る舞い、言葉、感覚を激賞する。エキセントリックで変態的でもある神谷は確かに若者の目に映れば天才肌に見えるかもしれない。しかし、最終的に芸人としてある程度の地位を手に入れるのは徳永のほうだ。神谷は天才的芸人というよりも、むしろ天才的永遠の少年なのである。

神谷と徳永ふたりだけの閉じられた関係性が、時折他者の目にさらされる瞬間がやってくる。例えば神谷が開いた合コン。神谷を信じきる徳永はうまく笑いをとれない自分を責めるが、軽々しく露悪的な笑いを披露し続ける神谷の方がよほど奇妙だ。または井の頭公園で出会った赤ん坊に蠅川柳を延々発表する神谷。いないいないばあをする徳永に冷ややかな目を向ける神谷はもはや単なる奇人である。こうして徳永の語る神谷像にはだんだんと亀裂が生じてくる。そして、最後に彼は気づくのだ、「僕の前を歩く神谷さんの進む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった」(115)と。

徳永が最後に「僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです」(142)と神谷を責めるシーンには感動した。このセリフには必死に師を乗り越えようとする徳永の痛々しさが詰まっている。神谷の「才能」が「幼さ」にすぎないことを暴き、徳永は独り立ちを達成する。

 

読んだだけでなんとなく「世間の波にのまれた、負けた」という気分になる特異な芥川賞受賞作だったが、結果的には読んでよかったと思う。その悔しさゆえにこうしてわざわざブログに感想書いてるんだけど。せっかくだから『スクラップ・アンド・ビルド』も読んでみようかしら。