煉獄日記

目指せ天国。

喫煙は悪なのか

すこし前の話になるが、星野リゾートが「喫煙者不採用」という方針を打ち出したことが話題になった。社内の全面禁煙は確かに会社として有利に働く面もあり、また星野リゾートが民間企業である以上彼らの決定はひとつの選択として尊重すべきである。

しかし、私はその方針に関する説明ページを読み、どうも違和感を覚えた。その違和感の正体を、少々探ってみようと思う。

 

「施設効率」という点については全く反論の余地はない。社員用喫煙所を作るならそのスペースはお客様へのサービスにあてるべし、というサービス業に携わる企業として大変尊敬できる方針の現れだと思う。

気になったのはその他ふたつ、「作業効率」と「職場環境」についてだ。

まずそれらのポイントに関する星野リゾートの意見をまとめてみよう。喫煙者は長時間喫煙が断たれるとニコチン中毒の症状により集中力が下がるために作業効率が落ち、またそれを補うためのたばこ休憩を許容することは他の社員にとって不公平であり、非効率でもある。

なるほど。至って筋の通った論理だ。ただし、この場合に想定されている喫煙者とは、「血液中のニコチン含有量の減少により集中力を維持することができなく」なり、「ニコチンが切れて集中できないという状況は、アルコールが切れて手が震えるという状況と差は」認められないと周囲が感じるほどのヘビースモーカーである。

喫煙者におけるヘビースモーカーの割合については信頼のおけるデータが見つからなかったので言及を控えるが、少なくとも私の知っている範囲で「一日に何箱も吸わないとやってらんない」というほどのヘビースモーカーはそれほど多くない。喫煙者のごく一部の人々にしか認められない症状を引き合いに出し、「喫煙者は全員不採用」というのはあまりに安易な決定ではないだろうか。

また、アルコール中毒者との比較も気になる。確かに喫煙者は毎日何本かのたばこを吸うだろう。しかし、それならば毎日少量の晩酌を楽しむ人々はどうなのだろうか。仕事の疲れを癒そうと一本か二本の缶ビール、缶チューハイなどを日々たしなむ人は少なくない。しかし日常生活に支障が出ない限り彼らが「アルコール中毒」と呼ばれることはまずない。飲酒という習慣をひとつとっても、そこには中毒症状に悩む人から時折の楽しみとしてアルコールを手に取る人までその行動は十人十色だ。それと同様に、喫煙者と一口に言ってもそこにはかなりのバリエーションがあるだろう。それをひとくくりにニコチン中毒者という一種の病人のように扱う姿勢には、どうも辟易してしまう。

 

私自身は、お酒は数年に一度しか飲まないし、たばこは時折楽しむ程度だ。つまり、どちらも完全な「嗜好品」であり、無ければ無いで全く困らない。しかしそうやってお酒やたばこをひとつの楽しみとして捉えているからこそ、近年の「禁煙ファシズム」と呼ばれる傾向には抵抗がある。今回は星野リゾートがたまたま興味深い発表をしていたのでそれについて書いたが、彼らはクリアな理由を示したうえで方針の発表をしているのであり、そのような姿勢にはむしろ好感すら覚えた。それよりも私は、今回星野リゾートが出したような意見がまるで普遍の正論のように扱われ、明確な理由を示すこともなく喫煙者を迫害するような雰囲気が広がる状況が納得できないのだ。

中毒性があるものなんて、落ち着いて考えれば他にもある。砂糖とカフェインなんてその最たるものだろう。(そのうえ中毒症状が出ていることに気付かない人も多いからそれこそ困りものだ)その中で「なんとなく目立つ」「なんとなく不快」な文化に対してだけこれだけの敵意と攻撃が向けられる状況は、もう一度冷静に振り返ってみる必要があるのではないか。「なんとなく不快」なものを安易に排除しようとしてしまう姿勢は、どうも私には危険なものに見えてならない。