煉獄日記

目指せ天国。

「香取慎吾」の仮面

このブログを始めたきっかけのひとつに、SMAP論を書く場所がほしい、という理由があった。半年ほど前から様々な文化理論や文学理論と合わせつつSMAPについて考えていたのだが、ひとりで考えているだけではやはり何となく寂しい。というわけで、せっかくブログ始めたし、以前書いたものの一部を多少手を加えたうえで載せようと思う。

 

**********

香取慎吾」の仮面

 SMAPの最年少メンバー香取慎吾は、デビュー当時まだ声変わりもしていない11歳の小さな少年であった。あどけない笑顔を振りまくグループの「末っ子」は、バラエティ番組や歌番組に出演する機会が増えてからも、性的な対象として見ることが憚られるほどに純真無垢でやんちゃな少年として振る舞い続けた。しかし、思春期に入り大人の体格に近づくにつれ、彼の身体と笑顔は当然のごとくアンバランスなものとなる。三谷幸喜の印象に残ったという「嘘くさい笑顔をする子供」(『27時間テレビ』におけるインタビューより)の「嘘くささ」は年々高まる一方であったが、彼は次第にその嘘くささを逆手にとり、様々なキャラクターを演じるようになった。バラエティ番組のコーナーから誕生した慎吾ママはあくまでも香取慎吾とは別人という設定が貫かれ、その後も忍者ハットリくんや『こち亀』の両さんなど、彼がキャラクターの仮面をつけ画面に登場する回数は増えていった。そして香取はキャラクターの仮面を被っている間に過剰な元気さを表現することにより、その仮面を脱いだ瞬間には以前までの「やんちゃな少年」とは異なる表情を見せるようになる。こうして無邪気で可愛らしい少年としての表情が作り物であったことを表に出し始めた香取だが、その後も「やんちゃな少年」の仮面は捨てることなく、彼はむしろ、それまでは周囲から強要されてきたその仮面を自ら利用するようになった。「笑顔のかわいい慎吾ちゃん」というアイドル像を盾として、香取は他のアイドルや芸能人には難しい発言をあえて口にするようになったのだ。

 2014年の夏、SMAPはフジテレビ27時間テレビのパーソナリティーとなり、熱中症の注意喚起が繰り返される猛暑の中、まる一日以上ほぼ休みなくその役割を果たした。番組制作者の準備不足が目立つ企画が相次ぎ、あからさまな不快感を示す出演者も少なくない中、決して笑顔を崩さなかったのが香取であった。しかし、彼の怒りは他の出演者とは異なる形で番組の最後に表現される。27時間を終えた感想を聞かれ、苦労もあったがこの仕事をできてよかったという主旨の発言をした香取は、締めの言葉として「そういうテレビの嘘が最高に楽しいです」と言ったのだ。その時の彼の表情は、トレードマークの大きな口はにっこりと笑っているのに目には怒りが見える、意図的に作られた「嘘くさい」笑顔そのものだった。制作者の落ち度を覆い隠すかのように、森且行からの手紙で感動的な雰囲気が作り出され、各メンバーが模範的なコメントで番組を平穏無事に締めくくろうとする中、香取の放った「テレビの嘘」という一言はあまりにも的を射た批判として響いた。それは彼が身につけた「少年らしさ」の仮面が無ければあまりにも不穏な発言となっていただろう。幼少期から純粋無垢な少年を演じてきた香取の笑顔の奥には強い反抗心と怒りが垣間見えていた。

 無邪気さを強いられた少年は、その無邪気さの虚構性、すなわち過剰な嘘くささを前面に押し出すことにより、その奥で抵抗を繰り返しどうにか大人になろうともがく自分自身を守ってきたのかもしれない。では、その少年らしさの仮面がお役御免となる日は来るのだろうか。もしその日が来るのならば、次に慎吾はどんな表情を見せてくれるのだろうか。「大人」になりつつある香取慎吾のこれからを楽しみにしている。

**********

 

以上が半年ほど前(2014年末)に書いた香取慎吾論だ。27時間テレビに関する意見は今でも変わっていないが、最終段落に書いた「少年らしさの仮面がお役御免となる日」は実は近いのではないか、というかもうその日は過ぎてしまったのではないかとも最近は思っている。その一連の流れでキーパーソンとなるのはおそらく草彅剛とタモリの二者だろう。しかし、それについてはまた改めて考えたい。

ちなみにこの香取慎吾の仮面というアイデアはDavid Harvey "The Body as an Accumulation Strategy" (2000) という論文を読んで思いついた。ハーヴェイの論旨については正直よく覚えていないのだが、マルクス主義を発展させ、「労働」と「労働者」を分けて考えてみよう、という点が大前提となったものだったと思う。それなら、「労働」も「労働者」も「商品」もすべてがごちゃまぜになったアイドルという職業はどうなんだ、という問がこの香取慎吾論を書くきっかけになった。

 

まあ背景はこのくらいにしておこう。今後も月に一本くらいは、SMAPについての文章を残せたらいいな、と思っている。