煉獄日記

目指せ天国。

まさかりかついで大砂嵐金崇郎

秋場所が熱い。

白鵬休場と聞いた時には、優勝争いを見る面白さがある意味倍増、ある意味半減、という気分だった。三横綱のうち二人が休場なんて寂しい。それでも、観ていたらなんだかんだやっぱり面白いから相撲はすごい。

現在四日目が終わって全勝が照ノ富士、稀勢の里栃煌山の三名。それに続くのが上位では鶴竜琴奨菊、妙義龍。ちなみに1敗の力士は他にもたくさんいるが、みんな大好き遠藤もその一人。

さて、誰が優勝するのかなー。照ノ富士のような気もするが、稀勢の里がいいかげん一回くらい優勝するところも見たい。鶴竜横綱の意地を見せてくれるかもしれないし、妙義龍あたりが予想外の結果を出してくれるかも。いやあ、楽しみ楽しみ。

 

でも、今場所の私の注目力士は別のところに。角界初のエジプト出身力士、大砂嵐金崇郎(まだ23歳!)。

四日目終了時点でいまだ0勝。しかし、相撲内容がいい。乱暴で粗雑ではあるけれど、「勝ちたい」という意志に一点の曇りも見えない。東前頭二枚目ということで初日から大関横綱ばかりが相手なのに、勝利への意気込みにあれほど乱れがないのはすごい。

初日豪栄道との一番は「レスリングですか?」と笑いそうになった。二日目は琴奨菊。組んではいたけどやけにバタバタ動き回る。三日目は照ノ富士と長い相撲をとり、何度も土俵際でこらえていた。そして四日目は横綱鶴竜との一番でかなり有利な姿勢になりつつも結局負け。

こうやって四日間の相撲をふりかえってみると、どれも「おお!」と期待させるところまではいくけれど、最後の決め手に欠けている。パワーばっかりで攻めているせいで、技の豊富な大関横綱には通用せずという感じなんだろうか。『大相撲ジャーナル』(10月号)の「スー女座談会」で、能町さんは大砂嵐について「相撲ぶりは違うスポーツを見ているような気がして(笑)」とコメントしているが、全くその通りなのだろう。とはいえ、確かに技の面ではまだまだ何とも言えない大砂嵐だけど、逆にいえば、今はパワーだけで大関横綱との取組をはらはらさせるところまでいっているのだから、今後はぜひ技を磨いて爆発的に強くなってほしい。

相撲がパワーだけじゃ勝てないスポーツだということに魅力を感じてわざわざ日本までやってきた大砂嵐。twitterから醸し出すインテリで愚直な努力家という雰囲気。まだ23歳というのが信じられないけれど、その若さからも期待は膨らむ。

秋場所が終わったら、また千代丸とわいわいしてる写真もアップしてくれるだろう。それもまあ楽しみではある。

 

あ、もちろん臥牙丸のことも応援してますよ。っていうか、応援してるって意味では臥牙丸が一番応援してる。でも、負けてしょぼくれてる姿も嫌いじゃないから、とにかく幕内にいてくれればいいわ、臥牙丸は。

他に気になるのは、大栄翔と阿夢露のふたりかな。阿夢露は名古屋場所でその相撲ぶりに惚れ惚れしたので、ぜひ今場所も頑張ってほしい。新入幕大栄翔の相撲も見ていて気持ちがいい。すっと手の伸びる突っ張りがなんだか瑞々しい。大砂嵐にしても、この二人にしても、真面目そうで勝ち気な力士が好きだ。

大相撲が始まると毎日充実していて非常に幸せですわ。

二重はどこへ消えた

白鵬が初日から2連敗とは。「足でも痛めているのか?」と心配していたら、案の定明日からは休場の可能性とのことで。白鵬以外の優勝を見てみたいとは思っていたけれど、他の力士が強くなる姿を見たかったのであって、弱った白鵬を見るのはつらい。

負けた後の白鵬は意気消沈といった様子で、なんだかその顔を見ていると悲しくなってしまったよ。いつもは負けても相手を睨みつけたりしてるのに。(それはだめだろうけど)

 

で、そんな白鵬がアップになると、「あらあ、きれいな二重」と思う。ちなみに、隠岐の海を見ても同じことを思う。

一昨日の朝、鏡をのぞいたら左目が一重になっていた。いつもは奥二重なんだけど、たまに目がはれるとそうなってしまう。目が腫れるようなことしてないんだけどなあ。ほんのちょっと飲んだお酒のせいかなあ。ちなみに右目はいつも通りきれいに二重。

それでも普段なら夜にはしっかり奥二重に戻っているのに、今回はなかなか戻らない。しわしわと中途半端な二重の痕跡があるばかりで、精一杯目を見開いてもその皺がちょっと深まるだけ。

ちょこっとまぶたを引っ張ってやれば一瞬きれいな二重になるとはいえ、それでもまばたき一回でまたしわしわ一重に戻る。

このままはやだなあ、と思う気持ちが半分と、これを機にきれいな二重にならないかなあ、と期待する気持ちが半分。とはいえ、明日になっても戻らなかったら前者の不安が期待を大幅に上回りそうだ。

 

アイプチとやらでも使ってみればいいのだろうか。普段全く化粧をしないくせに、こんなことのせいで「アイプチ」なんて言葉を使う機会がくるとは思ってもみなかった。とりあえずもうしばらくは様子見だ。

ところで、嘉風は一重なんだろうか、奥二重なんだろうか。

私日記(9月11日)

らしからぬことをたくさんしたのに、予想外に楽しくて奇妙な1日だった。

数年ぶりにお酒を飲んだ。飲んだって言っても、食前酒として出された泡盛のシークワーサー割りをおちょこ一杯だけ。一緒にいたNちゃんが帰り際に、「あのとき顔赤くなってたよ」と教えてくれた。ほんの少し恥ずかしい。

今日が会うの2回目だし5年くらい連絡すらとっていなかったNちゃんとご飯に行った。少し前、奇跡的な再会を果たした記念。話が途切れたらどうしようって緊張もしていたけれど、結果的にはとても楽しかった。お店がにぎやかだったので大きな声で話していたせいか喉が痛い。恋バナみたいなこともした。ミミガーポン酢が美味しくて、新宿感あふれるお店だった。店員さんが「おれ殺されちゃうよー!」って叫んだのには驚いたけど笑った。お酒出すのが遅いからって、殺されはしないよ。

これまで使っていたリネンウォーターがなくなったから、今度は「ユヌフルール ジャスミン100」っていうフレグランスオイルをハンズで買った。お香とかアロマが売ってるコーナーはいろんな香りが混ざりすぎて大変なことになってた。サンプルがあっても他の香りと混ざっちゃってなんだか。でも家に帰ってきて使ってみたら悪くなかった、ジャスミン。よしよし。

深夜に電話で友達に甘えた。相談の聞き役が気が付いたら逆転していた。口に出さないようにしていたぐらぐらな気持ちを、思いっきり口に出してしまった。実は泣きそうだった。人から「大丈夫だよ」って言ってもらうのって、心強いんだね。

シブ5時を録画し忘れた。あとでネットの海を捜索しよう。あと、ランチに行こうと思ってたタイ料理屋にたどり着けなかった。体力的な理由で。そちらはまた今度ね。電車を待ちながら、今日が9月11日であることに気づいた。でも、それだけだった。

今日から新しいベッド。明日の朝が楽しみ。たまにはこういう、ただの日記も書くことにする。

Rhapsody in Blue の余韻

強烈な欲望に一度とりつかれると、その欲望を満たしてやる以外にそこから抜け出すのは難しい。まるでサラ金の利子のように、満たされない欲望は日に日に膨らみ、脳内で理性の居場所を奪っていく。

サラ金の利子という比喩を用いたが、我ながらまことに的確な表現だと思う。欲望の芽が生えた瞬間にそっと摘み取ってやればなんてことはないのだ。即座に行動を起こしさえすれば、欲望が満たされた満足感と、欲望を暴走させることなく適切に処理できたことへの自己陶酔感が湧き上がり、それはそれはたまらない快感を覚えることができる。

 

しかし、問題はそのような素早い対処に失敗した場合である。例えば、ふとカラオケに行きたいと思ったとする。しかし目の前には山積みの仕事、迫り来る期限、疲れ果てた身体、プレッシャーで折れそうになる心。カラオケに行くなら、仕事の山を越えてからにしよう。そう判断するのが賢明だろう。しかしカラオケ欲が消え去ったわけではないため、思わず「カラオケに行ったら何を歌おう」なんて考えつつ、iPodで懐かしい曲を聴いてしまう。ああ、この曲は高校生のころよく聴いたな、なんて思っているとカラオケに行きたい気持ちは募り、心の中の歌いたい曲リストも長くなる。

こうなったらもう欲望の拡張は留まるところを知らない。カラオケの存在が常にちらちらしていて仕事に身は入らず、余裕ばかりがなくなっていく。ちょっと気休めというつもりで音楽を聴けば胸のあたりがむずむずし、今にもカラオケに走って行きたくなる。余裕がなくなっているためにストレスも溜まり、その思いから解放されたい一心で、カラオケほど最高のストレス発散法はこの世に存在しないのでは、などと夢想もし始める。

余裕の無さとカラオケに行きたい思いが雪だるま式に膨らんでいき、ひとり部屋で近所迷惑かと心配しつつも歌を歌い始めたりしてしまう。

 

そして、ようやくカラオケへたどり着く。こうなったら、友達なんて必要ない。自分の欲望を満たすことが最優先なのだから、むしろ一人カラオケの方が都合がいいくらいだ。さあ、思う存分、歌え!叫べ!

しかし、デンモクにならぶひらがなを見てあなたはふと我にかえり、「結局どの歌が歌いたいんだっけ?」と、曲名の大海原を目の前に立ちすくんでしまう。おそるおそる一曲いれて歌い始めても、なかなか声がのびない。イアフォンから流れる音を口パクしていたときや、お風呂で鼻唄を歌ったときにはあんなに上手く歌えた(気がしていた)のに。カラオケでマイクを手にした途端、声はのびず、次第にノドはかれ、下手な歌しか歌えない自分が悲しくなってくる。

上手く歌えない切なさと、歌いたい曲を歌いきるのは不可能という現実の虚しさに襲われながら、1時間か2時間程度の利用時間はあっという間に過ぎ去っていく。会計を済ませながら胸に渦巻くのは、中途半端な満足感と、それを圧倒的に上回る不完全燃焼のもどかしさだ。

 

このように、何かをしたいと思い立ったにもかかわらず、その思いをこじらせてしまうと、なかなかスッキリすることが難しくなるものだ。欲望に突き動かされた自分の姿の影に別れを告げられないまま、もやもやとした日々が続いてしまう。だから、何かをしたいと思ったら、ちょっと無理してでも時間を作ろう。そうすればきっと心が晴れて、仕事の効率だってうなぎのぼりに違いない。

さ、明日こそカラオケ行くぞ。だって久保ミツロウの歌うRhapsody in Blue が頭から離れないんだもの。

クラシコ書店

初めて訪れた小さな書店や古本屋では、なるべく何かしら買うようにしている。

店に足を踏み入れ、本棚の間をじっくりめぐり、目に留まった本を手にとって、店主のいるレジへ持っていく。その一連の動作を楽しんで、やっと古本屋を味わったという気持ちになれる。

あと、本を買った時の店主の反応を見るのも好き。無表情のままのおじさんもいれば、口もとだけにふっと笑みを浮かべるおじさんもいる。さっと包んで「ほら帰れ」みたいな態度のおじさんもいるし、丁寧に袋に入れてにっこりと「ありがとうございます」と言ってくれるおじさんもいる。(なぜ古本屋の店主はおじさんが多いのか)

どのような態度が好きとか嫌いという話ではない。その店主の反応を含めて、「ああ、こういう店なのか」と感じることが楽しいのだ。どんなぶっきらぼうな店主でも、たいていその店によく似合っているから面白い。

 

今日は神楽坂の路地にある、クラシコ書店という古本屋に行ってきた。

前にも店の前まで来たことはあったのだが、そのときは運悪く店が閉まっていたので、お店の中を見たのは今日が初めて。小さな扉と照明をおとした店内はちょっと入るのに緊張した。でも、そのちょっとした緊張感が、店内の本の匂いをかいでふっとやわらぐ瞬間が好き。

本だけでなく、きれいな文具も取り揃えてある、見ているだけで幸せになれるお店だった。本に関しては、神楽坂にちなんだ雑誌のバックナンバーがあったり、文化人類学の古典的研究書があったり、「暮らし」がテーマになるような本が多い印象だった。食に関する本も多かったな。

今日買ったのは以下の2冊。

浪川寛治『俳諧 蕎麦ばなしーーそばの俳句でそばを読む』(グラフ社

土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂)

『「甘え」の構造』は前から興味があった本だったのでこれを機に購入。蕎麦のほうは全く知らない本だったけど、蕎麦と俳句という取り合わせに心惹かれて購入。

俳諧 蕎麦ばなし』を少しだけ読んで、「あ、今は新そばの季節ね」と気がついた。たまたま手にとった本が今の季節によく似合う本だと嬉しい。これを読み終えたら、また新しい蕎麦屋の開拓に行こう。