煉獄日記

目指せ天国。

ひらいて、ひらいて

この夏に恋人ができた。もちろん夫とも今まで通り楽しく暮らしている。

恋人ができたことについて、夫と恋人という2人のパートナーを持つ生活について、モノガミーをこえる家族という理想に少しだけ近づいた今の私の「家族」について、なにか書きたいと思いながらも、様々な思いが頭の中でこんがらがってなかなか何も書けなかった。

というか、今でも頭の中はこんがらがったままで、この下書きも書いたり消したり何度もしている。書きたいことが多すぎるのか、今の状況や感情を語る言葉が少なすぎるのか。どっちでもないような、どっちでもあるような。


最近、『少女革命ウテナ』のアニメと映画を観た。
有名な作品だから名前は聞いたことがあったけれど、観るのは初めて。「王子様」になりたいという主人公ウテナの願望や家父長制批判のプロットはいくらでも深読みができる一方で、「決闘」シーンのたびに繰り返される音楽や整然としているようでどこか歪な画面構成は観ているだけで気持ちよくなる。子どもが観ても大人が観ても面白く、子どものころに観ていても大人になってから見返したくなるような細部を多分に含んだ物語。テレビで放送されてから25年以上経った今でも根強いファンがいることに納得のいく、とても良い作品だった。

だけど、そんな良い作品だからこそ、最初の数話を観てまず私が思ったことは「初めて観たのが今でよかった」ということだった。

主人公のウテナは、幼いころに出会った「王子様」に憧れるあまり自分も王子様になろうとする女の子。物語の後半では、「女子」である自分と「王子様になりたい」という願望の間で葛藤するウテナの姿も描かれるけれど、最初の何話かでのウテナは「女子の王子様」という地位を確立した学園内の人気者として登場する。

そのようなウテナのキャラクターを、今の私は素直に「いいな」と思えるけれど、もし私がまだ10代だったら、女子校に通っているころだったら。あるいは、まだ恋人と付き合っていなかった半年前の私だったら。わたしは、何を思っていただろうか。


恋人はときおり冗談めかして私を "my prince" と呼ぶ。
「わたしは王子様って柄じゃないよ」と笑いながら、気恥ずかしいような、くすぐったいような、あたたかい気持ちになる。

思春期の女の子ばかりが寄せ集められた女子校という空間では、自然と「王子様」のような立ち位置の子が出てくる。中高6年間女子校に通ってわかったことのひとつが、私は「王子様」になれるタイプではないということだった。
「王子様」は必ずしもボーイッシュな子とは限らない。運動ができる爽やかな人気者タイプの子だったり、逆にちょっとミステリアスな雰囲気の子だったり。思い返してみても「王子様」的な立ち位置にいた子たちのはっきりとした共通点はわからない。あえていうなら、「なんとなく魅力的」ということくらいだろうか。
彼女たちの魅力をうまく因数分解できないまま、それでもその「何か」が私に足りないことだけは明らかだった。それは努力でどうにかなるような性質のものでもなかった。そもそも、努力をするだけの勇気も私にはなかった。

それは仕方のないことだ、周りのみんなのことは大好きだ、だからこれでいいんだ。そう思いながら、忘れたことも忘れるくらいに「王子様」になりたい気持ちは忘れることにした。「気楽に話せる男友達」くらいのポジションにいられればいいや、と思うことが精いっぱいの妥協点だった。

大学に入って共学の世界に出ていった友人たちは、ほんものの「男の子」の「彼氏」を作り始めた。
相変わらず女友達と男友達の中間のような微妙なポジションでふらふらしていたわたしは、彼氏ができないとか、彼氏とうまくいかないとか、彼女たちの恋愛にまつわる悩みや愚痴の聞き役をしては、彼女たちを慰めたり励ましたりしていた。その会話の中で「あなたが男の子だったらよかったのに」という言葉を聞いては、嬉しくなったり切なくなったりしていた。
「私じゃだめなんだなあ」と何度も何度も思った。自分自身のジェンダーはずっとよくわからないまま、でも自分が彼女たちの求める「男の子」でも「王子様」でもないことだけは感じ続けていた。それはもう、悩みというよりは諦めであり、「どうでもいいや」と思わなければやっていけないような何かだった。

 

そうやって何年もかけて心のなかでぎゅっと握りつぶしていた何かが、恋人といるとゆっくりとひらかれていく感覚がある。
「女の子のふり」をしなくていい恋愛は初めて。だからといって「男のふり」だってしていない。恋愛をするときにはいつも必要条件のようにつきまとっていたジェンダーへの自意識が、ゆっくりとゆっくりとほどかれていく。まるであたたかい湯船につかってほっとするときのように、自分の心のなかのかたくなった部分がほぐされてひらかれていく。
「女」や「男」を演じなくても自分を好きでいてくれる人がいる。その関係性がもたらしてくれる安心感や呼吸のしやすさを、わたしはこの数か月で初めて味わい、そしてその心地よさがわたしを健やかにしてくれている。

わたしは「男の子」にも「王子様」にもなれなかったけれど、あなたの "little prince" にはなれているのかな。これまで自分でもよくわかっていなかったけど、それはまさにわたしが求めていたものだったのかもしれない。
またひとつ、知らなかったころには戻れない何かを知ってしまったみたい。この関係がどのくらいどんな形で続くかのは誰にもわからないけど、あなたが教えてくれたものはこれから先のわたしをきっと支えてくれる。

 

数か月前に放送された『ボクらの時代』で、ペコちゃんが息子さんと交わした「プリンス」についての会話の話をしていた。

息子さんに「ママのプリンスは誰なの?」と尋ねられたペコちゃんは、もともとはりゅうちぇるが彼女のプリンスだったこと、でも女の子になったりゅうちぇるはプリンスではなくパートナーになったということを息子さんに説明したそう。
だけどそこで息子さんは、「でも別にプリンセスが女の子じゃなくちゃいけないとか、プリンスが男の子じゃないといけないわけじゃないでしょ」と答えたそうだ。
女の子でも男の子でもだれかの「プリンス」になれるという息子さんの言葉は、りゅうちぇるとペコちゃんだけでなく、私を含む多くの人にとって、無条件の肯定のように響いただろう。
恋人との関係を築いていくなかで、その肯定の言葉をまっすぐに受け止められる私の心の準備ができていたことは、とても嬉しい偶然だった。りゅうちぇるがいなくなってしまったことはまだまだ寂しいけれど、りゅうちぇるが残してくれた希望にわたしは今もこうして救われている。


「王子様」にはなれないという現実は、もう諦めたり悲しんだりするものではない。ちょっとまぬけな "little prince" くらいにしかなれないわたしだけど、それもまた悪くないなと心から思える。
ウテナというキャラクターとその物語を、嫉妬も悔しさも感じずに楽しめるわたしが今ここにはいる。『少女革命ウテナ』を観始めたのは、恋人にすすめられたことがきっかけだった。「きっと気に入ると思う」と言ってくれた恋人に、「あなたのおかげでこの作品を楽しむことができたよ」と感想を伝えたい。

 

ウテナ』を観ていたのは、Qualifying examという少し大きな試験を目前にひかえたころだった。その試験のために2年以上かけて約150冊の本を読み、この半年でそのレビューを書きあげた。

セメスターの後半は、私はその試験の準備に忙しく、同じ博士課程にいる恋人もまた学期末のペーパーで忙しい日々を過ごしていた。まともにデートをする余裕もないので、2人でよく近所のカフェに行って一緒に勉強していた。

カフェに流れるクリスマスソングを聴きながら、「いつかこのときを私はなつかしく思い出すかもしれないな」とふと思った。

毎日忙しいし、試験のプレッシャーはしんどいし、いまだに将来どうにか食べていける保証もない。だけど、目の前にはもうすぐ書きあがりそうな試験用の原稿があって、向かいの席には難しい顔をしてペーパーを書いている恋人がいて、スマホには「今日の晩ごはん何にしようか」なんていう夫からのLINEがきていて。たまには夫と恋人と3人でご飯を食べたりして、Thanksgivingのような特別な機会には友達もまじえてみんなでディナーを楽しんで。それは間違いなく、今しか経験することのできない満ち足りた時間であり、これまで積み上げてきた知識や関係性の延長線上にある生活。
「あのころは大変だったけど楽しかったな」といつか未来のわたしが思い出すときがあるとすれば、それはきっと、2人のパートナーとともに迷いながらも日々一歩ずつ進んでいる今なんだろう。

 

『ちょっと思い出しただけ』を観て「何も思い出さない」というブログを書いたのは去年の12月のこと。
あのときは心身ともに限界で、自分を傷つけることでしか正気を保てないような状態だった。そんなわたしに、「無事でいて」と声をかけてくれた人がいた。その人に言われるがまま、「飲酒もODもしなかった」と10年日記のさいしょに書くようになって1年が経つ。

この冬はメインランドに帰省している友人の家に住み込んで、ペットシッターとして2匹の猫の面倒をみている。毎朝6時になると「ごはんちょうだい」と乱暴に起こしにくる猫たちのせいで寝不足だ。だけど少しずつなついてきた猫たちは私の上でごろごろとくつろいだりしていて、そのふわふわの身体に触れているだけで幸せになる。

がんばれる日もがんばれない日もあったけど、「無事でいる」ことだけはどうにか守れた一年だった。猫たちとの生活はまるでそのご褒美みたいだ。
いつかまた『ちょっと思い出しただけ』を観たら「ちょっと思い出しそう」な時間がたくさんつまっていた2023年。来年もきっといい年になるよ、と猫たちはわたしの顔にひんやりとした鼻を近づけて教えてくれる。

 

みなさん、よいお年を。

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揚げたてのとんかつと沖縄のギャル

とても悲しい訃報が届いた。

悲しいし、悔しい。
私はただのいちファンにすぎないので、何もできることなんてなかったし、悔しいといっても何がどう悔しいのかもうまく説明できないけど、悔しい。そして、悲しい。

 そうして体内に築かれた宗教が重なる誰かと出会ったとき、人は、その誰かの生存を祈る。心身の健康を願う。[中略]宗教が同じ人が心身共に健康で生きているというだけで、手放しそうになる明日を手繰り寄せられるときがある。その人が生きている世界なら自分も生きていけるのかもしれないと、そう信じられる瞬間が確かにある。

朝井リョウ『正欲』

オープンリレーションシップと呼ばれるような形の結婚しか受け入れられない、親になることに興味はあるけど母親にはなりたくない、性別とか性欲とか何もかもがどっちつかずのままでしかいられない、そんな私にとって、その存在は、その生存は、希望だった。小さな希望をかき集めながらでしか成り立たない生活のなかで、大きく光っている何かだった。

 

一時帰国中やその前に起こった色々のことを書き残しておきたいと、ハワイに戻ってからずっと思っていた。2年ぶりに文庫版で『正欲』を読み返して、このたった数年の間に自分の中にできあがってきた「網」のことを思い、ここに書き留めておきたいと思っていた。

 ずっと、自分を覗き込まれないよう、他者を登場させない人生を選んできた。その結果、生きることを推し進めていく力を自分自身で生成するしかなくなった。その状態が限界に到達したあの大晦日の日、初めて、自ら他者を求めた。
 一人目に伸ばした手は線となった。いま自分は、二人目、三人目に手を伸ばそうとしている。線は十字になり、さらに交差する。それを繰り返していけば、きっと網が出来上がる。手を組む人が増えれば、編まれる網はどんどん大きくなっていく。
 いま必要なのはきっと、どんな岸に立つ人でも見下ろせばその存在を確認できる、大きな大きな網だ。別の岸に飛び移りたいけれど距離があるからと躊躇うとき、もうどの岸からも降りてしまいたいと膝をつくとき、その足元に網が広がっていればどれだけ安心するだろうか。
 今の社会にはそれがない。だったらもう、自分で編むしかない。ひとりでは無理だから、誰かと。折角だから、もっと多くの人と。

朝井リョウ『正欲』

少しずつ編んできたその網に突然穴が開いてしまったみたいだ。穴、ではないのかもしれない。だって別に友達でも知り合いでもない。でも、その網の脆さみたいなものを思わずにはいられなくなる、そういう訃報だった。

足元を見ると不安になる。

私が編んできた網は、実は蜘蛛の巣くらい頼りないものなのかもしれない。
頑丈な網だって、それを切り裂こうとする悪意には耐えられないのかもしれない。

そういう不安が悲しみと一緒にむくむくと大きくなる。だけど私は生きていたいし、生きていると約束をしたから、足元の網をもう一度信じるためにこうして文章を書く。

 

 

「もう、もどれないかもしれないなあって、たまに思います」

沖縄の居酒屋で初対面の人と話しながらこんなことを言ったとき、不意に泣きそうになった。もどれないかもしれない。どこに?この会話では、「日本に」というような意味にとられたかもしれない。でもその時思っていたのは、そんな物理的に地図上で指をさせるような場所ではなく、もっと、時間的な、心理的な、そういうもの。

 

一時帰国の数週間前、大学院の友人2人を招いて家で食事会をした。夫が揚げたとんかつを皆で食べていたとき、会話の流れで代名詞を聞かれた。いつもみたいにへらへらとごまかしながら、「Sheに見えるならsheでいいんだ、別にそれでいい」と答えた。

「たとえば『トイレどこですか』って街中で尋ねたときに、『女子トイレはあっちですよ』って言われるようなら、なんかもうそう見えるならそれでいいかな、っていう諦めみたいなものがあって、あえて違うpronounを使って自分の性別を主張したいとは思わないんだよね」

言い訳みたいにそう付け足した。

すると、友人のひとりに「でも、社会的なプロテストとかそういうのはどうなんですか?もしそこで『ジェンダーレストイレはどこですか』って聞き返したら、その人も『あ、そういう人もいるのか』って思ってくれるかもしれない」と言われた。

そんなこと考えたこともなかった、と友人の言葉に感心しながら、それと同時に、そんなことを考えたこともなかった身勝手な自分が恥ずかしくなった。
そっかあ、そこまで考えてなかったなあ、とまるで思考の浅さが原因のように思わず言ってしまったけれど、それは深さというより視野の問題だ。たくさんの人がいる空間が苦手だから、なんて言って、ずっとアクティヴィズムとの距離を置いてきた。でもそうやって逃げ回っているうちに、自分の関心を狭めることに私は慣れきっていた。デモやパレードのような人がたくさん集まる場所じゃなくても、日常の一場面でできることがあるのだと、そんなことも忘れるくらい、自分のことばかり考えていた。

ジェンダーセクシュアリティの問題については色々研究書も読んできているから、知識はある。もちろん、日常の生活の中でできる抵抗がたくさんあるのだ、ということも「知識として」知っている。それなのに。それなのに、から言葉が続かない自分が、よりいっそう恥ずかしくなる。

 

そして、もう一人の友人にこう聞かれた。

「あなた自身は、本当は何がいいの?」

適当にごまかして終わるはずの会話が終わらなかった。真剣なまなざしでそう問われて、もうごまかせなかった。会話の相手ではなくて、自分をごまかせなかった。

「本当は、itがいい、ジェンダーを決めないと人間になれないのは嫌だ」

友人たちを目の前にしてこれを言うのは、誰が見ているかわからない(というかほとんど誰も見ていないであろう)ブログで書くのとはわけが違った。でももう嘘はつきたくなくて、何より、今目の前にいる2人なら大丈夫かもしれないという自分の中の期待が抑えきれなくて、少しだけ声を震わせながらそう打ち明けた。

私の言葉を聞いた友人は、この代名詞を他の人の前でも使ってほしいか、ごくプライベートな関係の中だけにしてほしいか、そこまで確認したうえで「わかった」と笑顔でうなずいてくれた。(みんなの前では使わないでほしい、とお願いした。)

カミングアウトではないけれど、何かそれに近いような、不思議な瞬間だった。少しだけ、体が軽くなったような気がした。

恥ずかしさと安心感とが交互に襲ってくる忙しい気持ちと共に、自分が今その会話を特に何の恐怖も感じずにできているということが嬉しかった。そう、私はあのとき嬉しかったのだ。今自分がいる場所を、その時間と空間を、ひとつの居場所のようなものとして認識できたその会話が、とても嬉しかった。

 

そして、夕飯も終わってだらだらと研究の話なんかをしていた時、私はふと思い出してミーカーの動画の話を2人にした。

ミーカーを演じるりゅうちぇるがいかに素敵かを熱弁し、「ぜひ見てみて!」と押しつけがましいくらいの勢いで薦めたのを覚えている。その2人には夫との「家族憲法」の話、つまり「不倫OK」とすることで一夫一婦制を乗り越える家族を作りたいという話もしていたので、りゅうちぇるがそのとき表明していた家族の形を心から応援しているという話もした。

友人との間にできた線と、りゅうちぇるの活動や生き方に私が感じていた線は、そこで交差して、私の心の中の「網」をまた少しだけ頑丈にしてくれた。その事実は何が起きたって変わるものではない。それは何か大きなものを前にしたときには脆い網なのかもしれないけれど、それでも、私はもう、そういう網を編めることを知ってしまったのだから。

 

もう、もどれないかもしれないな、と思う。

でも、もう、もどらなくてもいいのかな、とも思う。

いや、私はきっと、もう、もどりたくないんだ。

 

たくさんの希望をありがとう、ここまでたどりつく道の光となってくれてありがとう。
でも、生きていてほしかったな。

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わたしはまだ「王子様」になりたい

ひらりさ『それでも女をやっていく』(ワニブックス、2023)を読んだ。

 

それでも女をやっていく

 

女子校育ち、大学入学とともにある種のカルチャーショックを経験し、今もジェンダーについて考え続けているという彼女の経歴と本の構成、そしてそれを描く解像度の高い彼女の文章は、自分を重ねずに読むのが困難なほどの何かだった。私は自身をオタクだとは思わないし、BLや百合を特別好んで読んできたということもないが、著者がそれらに向き合う姿勢もまた、ずっと「アイドルファン」を自称しSMAPについて考えてきたことと重なって仕方がなかった。

そして何より、女友達との向き合い方と母娘関係の話では、共感を通り越して「これはやはり社会の問題!」などと頭がぐるぐるした。実際そういう一面があるのは確かだし、だからこそ著者も私もジェンダー論を学ぶことを武器に、私は学術的な文脈の中で論文を書くことで、著者はオートエスノグラフィという手法を用いることで、個人的な経験を外に開かれるものにしている/できている。The personal is political.

だけど、だから、私も私の話をしたくなる。これは、私にとってひとつの会話の形。

 

 

 

「女」であること、「女」との関係を掘り下げていくこの本の序文に、彼女はこんな一文を書いていた。

だって、みんなに「女」だと思われているわけだから。(p. 5)

著者と私とでは、何かしらのカテゴリ分けをすればジェンダーセクシュアリティもたぶんどちらも違うところに入ると思う。私は自分を女とはアイデンティファイしないし、ヘテロセクシュアルでもない。ただ、この一文からわかるのは、私も彼女も、何もしなければ自分がいつの間にか「女」として扱われる環境に置かれてきて、その有無を言わさず「女」として自分を扱ってくる世間の強引さにときには諦めのにじむような反感を抱いているということ。

 

英語圏で暮らしていると、しばしばpronoun(代名詞)を尋ねられることがある。特に個人のジェンダーアイデンティティが尊重されることを重視する環境のなかでは、それはつまり私の大学院関係のコミュニティの大半ということだが、初対面の相手からpronounを聞かれることも少なくない。

相手のジェンダーアイデンティティを尊重するという意図はわかるし、その尊重の気持ちには感謝している。「女のくせに」とか平気で言ってくる一部の(主に日本で出会ってきた)人たちに比べればよっぽどよっぽど良い。それなのに、私はいつもなんとなく言葉を濁してその質問に答えている。「Sheでいいよ、もしそれがあなたにとってcomfortableなら」とか、「こいつpronounを尋ねる意味わかってんのか、っていうか英語わかってんのか」と思われそうな返答をしている。

Theyを使おうかな、と悩んでいた時期もかなりあった。でも、結局そうしていない。今の社会ではまだ、theyを使うことでそこに何か「ふつうではない」ニュアンスが加わってしまう。「ふつうじゃない」と差別されることを恐れているのではなく、自身のジェンダーアイデンティティについてtheyを名乗る程度には何かを考えている人間だと思われることが嫌でその選択をしていない。こじれた理屈をこねまわしてると思うし、そこまで考えている時点でジェンダーについて「ふつう」以上に考えまくっていることは明らかで、ほんとにただの自意識過剰でしかない。恥ずかしい。

ほんとは "it" がいいと思ってる。It "が" いいと思ってる。ジェンダーのフィルターを必ず通さないと人間としての「私」になれないのなら、私は動物やモノの仲間として生きていきたい。
でもそこまで何かを突っ張る気概もないので、「sheに見えるならsheでいいです」とか言って余計に相手を混乱させている。

 

私が自分のpronounといつまでも折り合いをつけられない理由のひとつに、女子校での経験があると思う。

著者も言っているように、女子校はユートピアではない。ジェンダー規範から完全に自由になれる場所なんてあるわけがない。そんな場所があると仮定するだけで、頭の中のジュディス・バトラー先生が怒りだす。

メディアやTwitterで、女子校出身者が、女子校はジェンダーの不平等さを気にする必要がなくてよかった、女子校にいるときは人間だった、という話をして、それが支持される流れを目にする。それはあなたが "人間" 枠でそれ以外の人が見えなかっただけでしょう、と思う。(p. 26)

著者が反感を持つのも、わかる。

頭ではわかるけど、でも、それでも、私にとっての女子校は「温室」ではあった。「女子校にいるときは人間だった」というより、女子校にいる間は「人間」か否かの判断と「女」としての評価との間にズレがあった、少なくともそのふたつを同時にしないことが「人として」正しいという建前が維持されていた、という感じだろうか。そういうことをどんどんと言葉にして私たちに伝えようとしてくれていた先生たちの影響も大きい。仲良しこよしのユートピアではなかったし、色んな暴力も不平等もあったけれど、そのいざこざを起こしたりその中で勝ったり負けたり喜んだり傷ついたりしていたのは、あくまでも「私たち」自身だった。私にとっての女子校は、そういう温室だった。その温室の存在を、知っているというか、体が覚えている。

だから、「sheとかtheyとか何かジェンダーの話しないと私が私になることもできないんですか?」と、クィアユートピアにすがりついては頭の中のバトラー大先生に怒られたり励まされたりしている。

 

 

こういう女子校での経験にどっぷり結びついた話が、女友達とのあれこれを経て、最後には母娘関係の話にたどりついた時は、季節外れのクリスマスプレゼントをもらった気分だった。(そんな気持ちになったのは、隣人が数日前なぜか朝から "All I Want for Christmas Is You" を大音量で流していたからかもしれない。)

 

世界中の男がうっすら嫌いだ。父のことは純粋に嫌いだが、それ以外の男のことは羨ましいから嫌いだ。わたしの母を救うことができるから。(p. 161)

 

ひょんなことから結婚(しかも法的なやつ)をしてしまって、もうすぐ2年が経つ。しかし私はまだ母に結婚したことを言っていない。いや、言えていない。どっちだろう。

 

記憶にある限りずっと父と不仲だった母親は、娘である私に対して「あなただけは私を裏切らない」という無言の圧力と、「お前のそういう父親に似ているところが嫌いだ」という暴言を使い分けながら、私が彼女の最高の理解者であるよう求め続けた。幼いころの私は、母が不幸なのは自分のせいなのだと本気で思っていた。

そして、思春期に入って身体が変化したり性的なことに興味が出たり、さらに20代でそこそこまじめに付き合う彼氏ができたりしたときに、母親の反応はいつもひどく軽蔑的なものだった。

「女になって、気持ち悪い。」

何が彼女にそんなことを言わせていたのかはわからない。それでも、夫との関係に絶望した母が求めていたのが「白馬の王子様」にも似た何かであり、私はその代理品であり、しかし私が彼女の子供で娘で「女」である以上、決して代理品以上のものにはなれないと、私は自分の第二次性徴とともに漠然と理解することになった。

娘だろうが息子だろうが、母親のロマンティック・ラブの相手になることはできない。それでも、もし自分がとりあえず男として生まれていたら、もっと母親の求めるものに近づけたのではないか。おかあさんをしあわせにしてあげられたのではないか。どうしてもそんな風に考えてしまう幼い自分がどこかにいる。

 

現実的に、結婚を報告して母親が泣いたり叫んだり暴れたりしたら面倒だな、という理由はもちろんある。そして、母親が泣いたり叫んだり暴れたりする可能性は、経験から言えば、かなり高い。
でもそれと同時に、「結婚した」という報告が(その実情がいかなるものであれ)、母にとって最大の裏切りの言葉のように響いてしまわないか、もう「王子様」は代理品ですら存在しないのだと絶望させてしまうのではないか、そういう恐怖心が母に結婚を隠している理由のかなりの割合を占めている。

母親のことは嫌いだ。自分勝手だし、何より彼女が私にとってきた態度や行動は親として許されるものじゃない。それなのに私は、彼女の「王子様」になれない自分がまだどこかで許せない。

ついでに言えば、父親はもうこの世にいないのでどうでもいい。どうでもいいはずなのに、まだしょっちゅう夢の中で襲われて冷や汗かいて目が覚めるので、どうでもよくはないらしい。

 

 

 

最後にひとつ、読者としてのルール違反をする。ブログというあまり人目につかない場所だから許してほしい。

著者の言う「女子校」と、私の言う「女子校」は、同じ学校のことだ。さらにいえば、私は彼女にとって「同じクラスにいても親しくならなかった」「女」たちのひとりだ。それがこの本を手に取るのを迷っていた最大の理由。あたりまえだけど、同じ景色を見ていた違う人間がいたんだな、と感じてなんかむずむずしてしまった。(知り合いに読まれたくないだろうという気持ちは痛いほどわかるので、そこは、なんていうか、ごめん。)

あのころ、とにかく勉強ができなかった私にとって、SMAPという熱狂の対象を誰とも共有しきれなかった私にとって、実を言えば彼女はちょっとした憧れのような存在だった。そんな風に誰もが誰かを羨んだり自分のコンプレックスにいじけたりしていた時間を、私はわりと懐かしく好ましく思い出してしまう。

温室育ち

昔どこかで読んだインタビューで、私と同じ女子校を卒業した人が母校のことを「動物園」と「天国」にたとえていた。本当に、動物園みたいな天国だったなと思う。

 

ちょっと書き留めておきたくなった、動物園みたいな天国で、しかも最高の温室だった母校のこと。

 

数週間前、沖縄からハワイを訪れた高校生たちを色々とお手伝いさせてもらう機会があった。
彼らが来た目的は沖縄の伝統芸能を通じて現地の人と交流するといったもので、地域の人や大学のクラスをあちこち訪れる大忙しの2週間だったよう。海外どころか沖縄県から出るのも初めてという子も多くて、みんな目を輝かせながらハワイでの経験を楽しんでいた。一応国際交流ということもあり、必死の英会話をしている場面にも立ち会った。

そりゃあ、私はもうハワイに来て4年目だし、英語もハワイのことも当然彼らよりたくさん知っている。アドバイスしようと思えばいくらでもできるし、英語で困っていることがあれば通訳をしてあげることもできる。言語と文化の壁を前におろおろする彼らを前にして、できるだけ手を貸さないというのはなかなかもどかしい。

それでも、思わず口を出しそうになる自分を必死に抑えて、彼らの姿をにこにこしながら眺めていた。

 

 

大学生になったころ、母校の部活でコーチというかちょっとした指導の補助のようなことをしていたことがある。その中で合宿にも参加させてもらい、帰りのバスに乗っていた時のこと。

後ろに座っていた高校生たちが何かについて議論を始めた。その時は私も高校を卒業して半年くらいで、まだ指導者というよりは彼らの先輩という気持ちが強かった。だから、その件についてだったら何か有益なことが言えそうだと思いつつ、振り返って高校生たちの会話に入ろうとした。

その瞬間、横にいた先生が、すっと私を手で制して首を横に振った。
「口を出してはだめ」と、その目がはっきりと言っていた。

 

卒業する前は気が付かなかった。なんで気づかなかったんだろう。先生たちはずっとこうやって私たちの姿を眺めながら、どんなにもどかしくても口を出さずにいてくれてたんだ。

 

自主性を大事にするという学校の方針は、もちろん入学前から知っていた。部活の運営から文化祭や体育祭といったイベントまで、確かに生徒に任せられている部分がとても大きいことも感じていた。

その一方で、生意気にも「先生たちは何もしてくれない」なんて言ったりしたこともあった気がする。先生にそれほど不満があったというわけではないけれど、大人なのにそこにいるだけで何もしないんだなあ、なんて思っていた記憶はある。

でも、「何もしない」ということがどれほど大変なことか、そんなこと考えたこともなかった。

先生たちはずっと、「見守りながら何もしない」というとても大変なことをしてくれていた。それは未熟な子供たちを前にしたとき、アドバイスをしたり手助けをしたりするより、ずっと骨の折れる仕事。

 

家庭のことも色々あって他の生徒たちよりは先生に助けてもらう機会の多い中高生だったと思う。だからもちろん在学中からそのことにはとても感謝していた。この学校に入ってよかったと心から思っていたし、卒業するのは寂しくて仕方なかった。

それでも、このバスでの経験をするまで、先生たちがしてくれていた一番大きな仕事が「何もしない」をすることだとは気づいていなかった。

 

温室の中にいる植物は、自分たちが温室の中にいることなんて気が付かない。いつも同じ景色と同じ温度に退屈しているかもしれない。ビニールの屋根を眺めては「あいつは何もしてくれないな」と思っているかもしれない。

まるで温室のように、あの学校の先生たちは外界のたくさんのものから私たちを守りながら、その中で失敗と成長を繰り返す姿をじっと見ていてくれた。守られていることにほとんど気づかないくらい、私たちはしっかりとあの環境に守られていた。

 

 

ハワイに来てからは子供と接する機会も少なくなって、特に指導や教育をする立場に立って子供と接することはなくなった。こうしてまた高校生と一緒に過ごしてみたら、あの時すっと私を制した先生の姿を何度も思い出した。

もうさすがにあの女子校に戻りたいと切に願うことはなくなったけど、「何もしない」をちゃんとできる大人にもまだなれていない気がする。

いつか私も、子供たちにとって温室みたいな大人になれるかなあ。

何も思い出さない

『ちょっと思い出しただけ』という映画を観た。
池松壮亮伊藤沙莉、主演2人の演技がとても良かった。

観た後にひとりになりたくなる映画と聴いてたから夫の外出中にひとりで観た。
ひとりになりたいとは特に思わなかったけど、何も思い出しもしなかった。

 

大人になってからの誕生日の思い出はそれなりに色々あって、だいたいは楽しかった思い出で、19歳の誕生日には泣きたくなるような経験をしたこともある。誕生日の記憶の中に、恋人や友人が中心の記憶が大半を占めるようなったことは、私も大人になったな、って気持ちになる。自分で選んだ身近な人と、楽しい時間を過ごす日だ。

 



 

この間、初めて泥酔するまで酒を飲んだ。

うちの小さなバスルームに2時間ほどかがみこんだまま、その日の夕飯も30分で無理矢理1本飲み切ったワインも全部吐いた。もう長いこと結構強い嘔吐恐怖を抱えているのに、まるで不可抗力みたいに吐き続ける自分がばかみたいで笑えた。

トイレにつっぷして吐きながら、確か泣いていた気がする。よく覚えてないけど。
でも、記憶の中では泣いていた。くだらなくて、あまりに簡単で。

酒で自分を壊す簡単さを、小さなころから痛いほど学んできた。でもそれが同時に周りの人をどれだけ傷つけるかも、もっともっと痛いほど学んできた。だから酒を飲まない大人になった。
なんで突然ワイン1本空けちゃったのか自分でもわからない。味わいたいわけじゃなかった。なんでもいいから酔いつぶれて自分を壊してみたかった。

で、見事につぶれたわけだ。

手足の感覚もぼんやりしてうまく立てないし、思考力なんてぽよぽよだし、自分の体がアルコールを吐き出すことで必死に生きようとしている姿に「おー、がんばって生きてんじゃん」と思った。こんなに簡単に脳みそを壊せるものが手元にあれば、そりゃあ飲んじゃうよね。

酒に負け続けてる人生だけど、酒に酔いつぶれることで初めてちょっとだけ酒に勝った気がしたよ。不健全。

 

 

『ちょっと思い出しただけ』を観ても、全然何も思い出さなかった。

これを観てひとりになりたくなる人は、きっと「ちょっと思い出す」何かがある人なんだろうな。今ではない過去のいつかを、ちょっと思い出す瞬間を持っている人。

私は、何も思い出さなかった。

でも、もしもこの映画を十何年後かに観たら、思い出すのはハワイで暮らし始めてからのこの数年間、特にこの1年半くらいのことかもしれないな、と思った。

 

夫が帰ってきた。

おかえりなさい、おやすみなさい。

 

私はまだまだ、酒に勝てないまま生きていく。